『復活の主日』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

2018年/B年説教=神への道標

年間第5主日:自分の弱さ、もろさを直視しながら、人として一歩前へ

今の「わたしらしさ」は何なのでしょう?日本社会という環境に生まれ、育ち、教育を受け、恩恵をいただきながら大きくなり、そして、弱さを持ちながら、間違いながらも託された使命を生きようとしています。いつも振り返りながらその時の自己を直視し、「人間」としてちょっと前へ進みたいですね。
2018年/B年説教=神への道標

年間第4主日:私たちの言動のよりどころは見栄、自慢?それとも奉仕?

神に裏付けられた確かさと豊かさが、わたしたちの権威の源となっているのでしょうか。わたしたちの日常の言動の裏には、見えないところで神がそっと支えてくださっている現実があります。それに気づくことが、奉仕への道のりを歩ませてくれる原動力となっていきます。
2018年/B年説教=神への道標

年間第3主日:神の「お墨付き」は絶対!イエスの招きに自分を託そう

人の世界の「お墨付き」には、「絶対、完璧」はあり得ませんが、神の「お墨付き」は絶対です。イエスさまがわたしたちに与えてくださった愛のすべてを受け、その愛を周囲の人々に与えていく信仰生活をめざしているのでしょうか。
2018年/B年説教=神への道標

年間第2主日:神との関係で方向転換を!そこに人の本来の生きる姿がある

イエスを理解し、魅せられていく。そして、イエスとともに歩いて生きていくことが、信仰者の中心にあります。そうすることで、すべて存在しているものの互いの関係性、存在評価が見えてきて、安定して生きることを楽しむことができます。
2018年/B年説教=神への道標

主の公現:イエスとの絆を深めるために、「平和とゆるす」ことを願う

メシアであるイエスさまに出会える人々は、貧しくへりくだった人たちです。東方からの訪問者も、ユダヤ人からは偶像礼拝者とみられ、異邦人の中でも最低の立場に置かれていた人々です。その彼らが、イエスさま誕生に呼ばれたのです。
2018年/B年説教=神への道標

聖家族:イエス、マリア、ヨゼフの一家団欒時の話題に思いを馳せてみる

神殿からの帰途、イエスさまが行列の中にいなかったのです。両親の心は大いに痛みました。しかも、「どうして、わたしをお捜しになったのですか。わたしは父の家にいなければならないことを、ご存じなかったのですか」と、逆に問い返されます。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第4主日:マリアが持つ神とのコミュニケーション力に着目しよう

イエスさまの救いの業は、一人の女性の一言で始まり、それは分け隔てのない無限の広がりをもった「フィァット」でした。わたしたちにとっては、この上ないありがたいことです。が、その「ありがたさ」が、わたしたち一人ひとりに伝わっているのでしょうか。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第2主日:イエスの先駆者・ヨハネが示したメシアの姿とは?

先駆者ヨハネは「道を整え、罪のゆるしへと導く悔い改め」を「力強く」宣言し、「忍耐力」をもって「愛にあふれた」メッセージを民に語り続けたのです。ヨハネが、今の「わたし」に何を語りかけているのか見出してみたいですね。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第3主日: 神の前に自己開示を!神は既に恵みを注がれている

謙虚に神の前に自己を開いてみましょう。神はわたしたち自身が気づかないうちに、すでに、わたしたちに恵みを注がれています。わたしたちはそのことに目覚めるだけです。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第1主日:信仰の「生長」ではなく「成長」に目覚め、期待したい

小さなイスラエルの民が、「人類の救い」という大きな影響力を与える存在になっていきました。彼らの中に生き続けている信仰心の凄さに、忍耐力に、今に生きるわたしたちは「目覚めて」いきたいものです。
2017年/A年説教=神のふところ

王であるキリスト:日常生活で自然に行っている業を確認し、奉献しよう

普段、何気なくやっていることを通して、日々、わたしたちはイエスさまに出会っているのです。このことに気付きたいものです。「最も小さな者の一人にしたことは、わたしにしたのである」とおっしゃっておられるからです。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第33主日:神の意図を生きる現場でどう読むか!掟との関わりは?

人は神の「意図」を知りながらも、自分の都合を優先してしまいがちです。掟や形を守ることだけに終始し、その掟の意図を見誤ると、偏った生き方、人間となりかねません。頂いた能力をフルに生かしながら、神の意図にそって、絶えず前に進み続けましょう。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第32主日:「今」の現実に魅かれながらも、未来の自分に目覚める

人は、未来の、不確かな現実よりも、確かな「今」の現実の方に魅力を感じてしまいます。また、負けてしまいます。ですから、将来の現実がどれだけ重要なのか、そのことをいかに感じるかによって、今の生き方に違いが生じてきます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第31主日:わたしの「権威」のよりどころはどこにあるでしょう?

「権威」は、その人に託された役割をよりよく奉仕できるように付与されているもの。奉仕のための力、エネルギーです。これが、外面的にはイエスさまの姿でもありました。イエスさまの裏付けがある本物の「権威」を求めていきたいものです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

待降節第3主日:「救われるためには、どんなことでもします」と言う覚悟

それぞれの置かれた環境に応じて、やさしさ、思いやり、いたわりあいを勧めています。一言でいえば、実生活の中での隣人愛の実践、これがイエスさまと出会う最高の準備であると今日の福音は伝えています。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第30主日:神の恩恵を具体的に自覚して「神の側」に立っているか?

いつの時代も、何事に対しても、その人の「側に立つ」ということは、その人の恩恵に与ったという自覚の大きさに比例します。はたして、大恩ある「神の側」に立っていますか、いませんか、・・。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第29主日:世界はすべて神のもの!という現実に目覚めるべきです

自力に頼ろうとする者は、いずれ崩れ去ります。神のものを神に返すことが、聖なる人への道のりであり、神の恵みへの感謝の道のりでもあります。それぞれの居場所で、地位で、その役割をお互いに見せていきましょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第17主日:得るために支払う準備と努力に、喜びを感じていますか?

イエスさまは得た「物」に比重を置いているのではなく、「支払いをする」ために努力してきたその生きざまに、重きを置いているのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第28主日:日々受けている神からの招待に、どのように対応すべきか

福音の中で王からの招きを拒絶する人、礼服を身につけない人に共通することは、品格と賢明さの無さではないでしょうか。私たちは神からの招待を受けています。その招きをお受けできる「わたし」でいるでしょうか?
2017年/A年説教=神のふところ

年間第27主日:意識改革こそ必要。回心とはより善いものを目指す志です

自分の足りないところ、弱いところを正すことだけが「回心」ではない。より善いことに目覚めていくことが本命だと思います。これまた、大きな「意識改革」ではないでしょうか?