「神への道標」
2018年説教の年間テーマ「神への道標」

待降節第2主日(B年)の説教=マルコ1・1~8

2017年12月10日

「『意欲と能力がありながら、家庭の経済的事情で進学を断念する若者を可能な限り減らしたい』。読売新聞、本年10月15日の社説の冒頭の一節である」。(讀賣新聞大阪本社、2017年12月3日朝刊)

話題の「高等教育無償化」に関する議論から

内容は、今話題の高等教育無償化について論じたものです。「高等教育無償化は愚策」という見出しが冠されています。山崎正和氏(劇作家)は言っています。「現実の高校、大学を見ると、どちらも学問にあまり興味はなく、世間の空気に乗せられて進学する若者が少なくないような気がする。『みんなが行くから』『親が勧めるから』という理由で進学し、在学中はアルバイトとゲームに没頭したうえ、単位だけをとると就職活動に奔走する学生も例外とは言えなさそうである」と。

高等教育より幼児教育に重点を置くべきとの説も

また、「高等教育無償化論」についての中室牧子氏の主張に、賛同の立場を表明しつつ、山崎氏はコメントしています。「勉強が好きになるかどうかは幼児期に決まるものだから、義務教育期とそれ以前の家庭教育が決定的に重要である。ところが低所得の家庭では親に心身の余裕が乏しく、子どもの学業奨励がおろそかにされがちになる。貧しい家庭の子どもたちは生まれつき、学業上の向上心を奪われている。

高等教育の対象者は豊かな家庭の子が多い?

この状況で高等教育を無償化すれば、恩恵をこうむるのは豊かに育った若者に偏り、真に援助されるべき貧しい若者は取り残されるに違いない。それでは貧富の差は拡大される一方だから、国家予算は義務教育とその前の幼児教育に傾注し、学業意欲の平等な育成を図るべきだと、中室氏は声を大にする」と。

人が育つ前段階の義務教育にこそ重点を

山崎氏が指摘され、願っていることは、人として大きくなっていくための「前ぶれ」としての「義務教育の改善」を優先してほしいとみることができましょう。

また一方で、高等教育とは別の道を歩む青年もいるという現実を忘れてはいけないと指摘しています。「農業、漁業、林業などの一次産業、陶芸、染色、木工といった伝統産業、さらに金属へら絞りのような軽産業の分野には、そうした優秀な若者がおびただしくいる。・・・にもかかわらず彼らは国の教育助成を受けられないばかりか、勤労者として所得税を払っているのである」。

確実な歩みのためには「前準備」が大切

何かが始まるとき、何かを始めようとするとき、その始まりが肝心です。急発進は危ないです。ゆっくりと慎重に、丁寧に、それでいて確実に歩を前に進めたいものです。「前ぶれ」があるということは、前準備が行われるということで、本番への道筋を、あるいは、本番そのものを垣間見ることもできるかもしれないほどに、大事なできごと、兆候になります。

その役割を担っているのが、今日の福音によりますと、洗礼者ヨハネということになります。「見よ、わたしはあなたの先にわたしの使いを遣わし、あなたの道を整えさせよう。・・洗礼者ヨハネが荒れ野に現れ、罪の赦しへと導く悔い改めの洗礼を宣べ伝えていた」のです。

現代に生きる若者の学習意欲は、社会の発達、発展、健全化へと導いてくれます。その社会の前ぶれ、先駆者としての存在になっていることは確かではないでしょうか。将来どのような社会になっていくのか、予想がつくような内容をそのうちに秘めているのが「先駆者」としての若者です。

ヨハネが整えた道にイエスの姿を見出そう

ヨハネの中にもイエスさまの先駆者としての姿を見ることができます。「道を整え、罪のゆるしへと導く悔い改め」を「力強く」宣言し、「忍耐力」をもって「愛にあふれた」メッセージを民に語り続けたのです。救い主(メシア)イエスさまが抱いているすべての内容を、今に生きるわたしたちに前もって語り(キリスト降誕を前に)、今の時間と場所において、わたしたちの反応を「整えて」いきたいです。

今日は、先駆者ヨハネを通して示されている来たるべきメシアの姿が、今の「わたし」に何を語りかけているのか見出してみたいですね。ヨハネの世界の中に、イエスさまの世界をのぞき見しましょう。