『年間第14主日(C年)』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第22主日:イエスの十字架は、人間には納得がいかなくとも、神の愛

「真に召された者」にならない限り、人の思いが神の思いと融合することはないでしょう。ペトロたちは神の愛によって十字架の価値を理解し、それを生きるように変えられました。私たちも神の愛によって変えられるようイエスと語り合い(祈り)、その語りを聴きましょう。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第21主日:良さと悪さを併せ持つ「わたし」に勧める、それでも!

わたしたちは聖と俗、表と裏、強さと弱さを併せ持ちながら信じています。だからこそ、弟子たちがそうであったように、神の恵み、聖霊の助けが必要なのです。神の支えがなければ「わたしの生」はない---このことを伝えていくことが、信仰宣言であり宣教活動ではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第20主日:日々の苦しみの中で、「我が信仰」を見出せますか?

わたしたちも、カナンの女と同じような苦しみの真っ只中に置かれることがしばしばあります。誘惑なのか試練なのか、わかりません。その時でてくる思い、言葉は何でしょうか。確たる神への信頼のもとに出てくる「叫び」でしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第19主日:信仰は、失敗を含む日常の営みの中で強く育っていく

信仰は、人を不安と恐れから解放してくれます。しかし、それは現実の「嵐」の中で試され、鍛えられてこそ。「嵐」の中で、目をそらさず神を見ているでしょうか。何度も失敗し、躓き倒れながらも、最後は立ち上がっていくことで「わたしの信仰」は育っていきます。
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年間第18主日:「あなたがたが与えなさい」は現在の我々も求められている

イエスは、弟子たちに「あなたがたが彼らに食べるものを与えなさい」といわれます。今のわたしたちも同じように言われています。大群衆に食べ物を与えるなんて…どうしたらできるでしょうか?それは、イエスに頼るのです。イエスから、もっと光と力を引き出す弟子となることで…
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年間第17主日:イエスを知らない人への、キリスト者の奉仕の中身は・・

イエスが、我が人生に決定的な変化を持つものであることに気づけば、なにがなんでも放しはしないでしょう。多くの方に気づいてもらうために、イエスを伝えるわたしたちキリスト者の奉仕と責任はどこにあるのでしょう。
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年間第16主日:非難するよりも、忍耐のうちに互いの弱さを背負い合う

イエスは当時の農耕作業を参考に、自分の目で判断した毒麦を抜こうとして、よい麦までも抜いてしまう危険性を示したかったようです。自信のある人は熱心さのあまり、本人も気づかないままに、自分の枠の中で、自分のはかりで他人の言動を推し量り、指摘し続け、非難してしまいがちになります。
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年間第15主日:諦めてはいけない!と叱咤激励するイエスの心を感じたい

「たとえ話」では種そのものの運命に焦点が当てられていますが、解釈の個所では、種をまかれた人間のがわの運命に焦点が移されています。「天の国の秘密を悟ることがゆるされていない」人たちへの宣教を、諦めてはいけないと叱咤激励するイエスの心を感じ取ることができればと思います。
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年間第14主日:全ての人を思うイエスの心を希望ある日常生活の原点に

新型コロナウイルスで、世界中の人たちの日常生活が全く変えられてしまっています。これはもっと他者を意識し、大切に思い、お互いが支えられていることにもっと気づきなさい!と言うメッセージのような気がしませんか?
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年間第13主日:イエスの新しい掟、それは隣人愛を高めること

今日の福音は人への愛を否定するのではなく、わたしたちの愛が真実な愛であるために、イエスに学びなさいということでしょう。すなわち、「わたしが愛したようにあなたたちが互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である。友のために自分のいのちを捨てること、これ以上に大きな愛はない」
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年間第12主日:「わたし」は神に生かされているから、今も、未来も恐れるなかれ

イエスが「恐れてはならない」と言い切る理由は、「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないから」です。わたしたちは「わたし」のほうから断ち切らない限り、神とのつながりを失うことはありません。
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キリストの聖体:聖体は、わたしたちに見えるイエスの愛

愛は、自分のいのちを惜しまない。愛する者のために、その人のいのちを守り抜くのです。「主の聖体」は、まさに、イエスのわたしたちへの愛が、形になってわたしたちの前に提示されたイエスの愛そのものであるといえます。
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三位一体:見知らぬそぶりができない心は神の贈り物。多くの人を癒す源

見て知らぬ振りができないわたしたちの中にある心情は、まさに、神からいただいた恵みなのです。その心をもって他者と接することができる限り、わたしたちは確実に神を、三位一体の神を伝えていることになるでしょう。
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聖霊降臨:人知れず働かれる聖霊よ、わたしたちにいつもゆるしと平和を

聖霊はわたしたちにひそかに働いています。それだけに、今の自分を意識してみることが大事です。「ゆるす心」を、自分の中に感じることができれば、それを突破口に信仰を深め、高めていきましょう。聖霊はわたしたちの日常を支える最大の援護者です。
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主の昇天:イエスとの別れ(昇天)の次にやってくるもの、それは・・・

人は自分以外の誰かに支えられ、励ましを受け、確かな自分を形成していきます。ウイルスの後にやってくるのは「恐怖」ではなく「和合」であり「安らぎ」であってほしいものです。それは、わたしたち一人ひとりにかかっています。
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復活節第6主日:他者との関わりを通して多くのことを学び、成長したい

弟子たちが聖霊の恵みを受けることができたのは、自分の弱さと闇に気づき、目覚めたからです。イエスの十字架がそのことを教えてくれました。わたしたも、気づいていない自分自身を発見し、謙虚な心になりましょう。
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復活節第5主日:日常の出来事に神の恵みを感じるのはどのようなとき?

弟子たちがイエスの招きに応えられるようになったのは、復活を経て聖霊降臨の恵みを通してでした。本物の信仰、ゆるぎない信仰は、人間の力によって得られるのではなく神の恵みであり、聖霊の働きによるものです。
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復活節第4主日:それぞれが置かれた場所で、どんな小さなことにも邁進を

どんなに小さなことであったとしても、一人ひとりが置かれた場で、できることに邁進することが肝要です。新型コロナウイルス感染予防対策においても、司祭召命の増大を願うことに関しても、それぞれが与えられた環境の中で邁進しましょう。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第3主日:ひとり一人の人生に隠されている神の恵みに気づこう

復活節第3主日(A年)の説教=ルカ24・13~352020年4月26日年が若くて元気な時は考えたこともなかったことが、年を重ねてくると、ある事にふと気づいて、思い巡らすことが多くなってきました。脂っこい食べ物には手を出さなくなったなとか、食...
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第2主日:「当たり前の生活に感謝する心」を普段から養い続けよう

「当たり前の生活に感謝」することは、日常が「当たり前でなくなった」から感じる強い思いです。「感謝の心」を日ごろから、大切にして生活できれば、人間関係ももっと穏やかな、安心した交わりの中で、楽しく、豊かになっていくのではないでしょうか。