『復活の主日』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

2020年/A年説教=応えていますか、いつも

キリストの聖体:聖体は、わたしたちに見えるイエスの愛

愛は、自分のいのちを惜しまない。愛する者のために、その人のいのちを守り抜くのです。「主の聖体」は、まさに、イエスのわたしたちへの愛が、形になってわたしたちの前に提示されたイエスの愛そのものであるといえます。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

三位一体:見知らぬそぶりができない心は神の贈り物。多くの人を癒す源

見て知らぬ振りができないわたしたちの中にある心情は、まさに、神からいただいた恵みなのです。その心をもって他者と接することができる限り、わたしたちは確実に神を、三位一体の神を伝えていることになるでしょう。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

聖霊降臨:人知れず働かれる聖霊よ、わたしたちにいつもゆるしと平和を

聖霊はわたしたちにひそかに働いています。それだけに、今の自分を意識してみることが大事です。「ゆるす心」を、自分の中に感じることができれば、それを突破口に信仰を深め、高めていきましょう。聖霊はわたしたちの日常を支える最大の援護者です。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

主の昇天:イエスとの別れ(昇天)の次にやってくるもの、それは・・・

人は自分以外の誰かに支えられ、励ましを受け、確かな自分を形成していきます。ウイルスの後にやってくるのは「恐怖」ではなく「和合」であり「安らぎ」であってほしいものです。それは、わたしたち一人ひとりにかかっています。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第6主日:他者との関わりを通して多くのことを学び、成長したい

弟子たちが聖霊の恵みを受けることができたのは、自分の弱さと闇に気づき、目覚めたからです。イエスの十字架がそのことを教えてくれました。わたしたも、気づいていない自分自身を発見し、謙虚な心になりましょう。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第5主日:日常の出来事に神の恵みを感じるのはどのようなとき?

弟子たちがイエスの招きに応えられるようになったのは、復活を経て聖霊降臨の恵みを通してでした。本物の信仰、ゆるぎない信仰は、人間の力によって得られるのではなく神の恵みであり、聖霊の働きによるものです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第4主日:それぞれが置かれた場所で、どんな小さなことにも邁進を

どんなに小さなことであったとしても、一人ひとりが置かれた場で、できることに邁進することが肝要です。新型コロナウイルス感染予防対策においても、司祭召命の増大を願うことに関しても、それぞれが与えられた環境の中で邁進しましょう。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第3主日:ひとり一人の人生に隠されている神の恵みに気づこう

復活節第3主日(A年)の説教=ルカ24・13~352020年4月26日年が若くて元気な時は考えたこともなかったことが、年を重ねてくると、ある事にふと気づいて、思い巡らすことが多くなってきました。脂っこい食べ物には手を出さなくなったなとか、食...
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第2主日:「当たり前の生活に感謝する心」を普段から養い続けよう

「当たり前の生活に感謝」することは、日常が「当たり前でなくなった」から感じる強い思いです。「感謝の心」を日ごろから、大切にして生活できれば、人間関係ももっと穏やかな、安心した交わりの中で、楽しく、豊かになっていくのではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活の主日:今年もなお、「わたし」に語り掛ける神をどこに感じていますか

イエスの十字架と復活が、「わたし」が生きるための血となり肉となっているでしょうか。ペトロのように自分の弱さ醜さに目覚めれば目覚めるだけ、主の復活のありがたさがわかってくるのではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

四旬節第5主日:わたしは復活であり、命である。このことを信じるか

イエスはマルタに彼女の信仰宣言を要求なさいます。「信じる」ということは、人間の常識では考えられない神の力、人には隠された神の計画を信じるか、という問いかけです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

四旬節第4主日:神の恵みの力は、「わたし」の弱さの中に全うされる

健常な人は、罪を拒否しようとするあまり、他人の罪を告発することに躍起になってはいないでしょうか。自分自身をつぶさに見つめる「光」を失っているのです。そして、かえって自分が罪の中に留まってしまう結果を招いています。人がそもそも身に負っている弱さ、不完全さは罪ではありません
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

四旬節第3主日:人の素晴らしさは、他者との出会いによって磨かれ輝く

今日の福音書の話は、イエスとサマリアの女との出会いの話になっています。この出会いは、サマリアの女にとっては人生最良の出会いとなったのではないでしょうか。その叙述からも分かるように、彼女がイエスに出会うまでの人生は、いろいろな複雑な人間関係の中で、人と交わってきたことがうかがえます。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

四旬節第2主日:主の変容は、今の「わたし」を支え、励ます出来事である

今日、共に見つめてみたいことは「イエスとともに生きようとする『わたし』」なのかどうかということです。神であるにもかかわらず、そのことにこだわらない人生を生きられたイエスに、自分の人生を合わせることができているでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

四旬節第1主日:イエスはメシアとしての自己を肯定し、誘惑を試練に変えた

今日の福音では、イエスはメシアとしてご自分の存在、役割をしっかりと見据え、悪魔の3度にわたる「誘惑」を「試練」に変えていくエネルギーとしてお示しになりました。果たして、今の「わたし」は、・・・。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第7主日:自分の限界を知る時、神に向かう素直な自分を見つける

悪人や罪人は、神からの恵みを無視し、自分勝手に生きている人びとです。なのに、神は、いくら無視されようとも、滅びへの道をたどっている彼らが救われるために、惜しまずご自分のひとり子・イエスを十字架に渡されたのです。彼らが気になってしょうがないのです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第6主日:イエスに対する誤解、それは人生の本末転倒への誘導口

人間関係が全き信頼の上に成り立っていれば、「誓い」は必要ありません。イエスはご自分の到来によって、互いに信頼に満ちた人間関係がここに実現している、『然りは然り』『否は否』、「それ以上のことは、悪い者から出る」と言われます。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第5主日:ダメな自分に目覚めることが神の働きかけを容易にする

イエスの今日のみことばは「塩」にしても「光」にしても、すでに与えられているものです。それらが、それぞれの力を発揮するために邪魔になるものを取り除けということです。ダメな自分に気付くその時、神は動きます。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

主の奉献:イエスは神と人を結び合わせる接点。そのことを再確認したい

今日の「主の奉献」の祝日は、神殿において、イエスを通して、人が神と真に出会えた日であり、神の救いの業があらわにされた日であります。わたしたちもシメオンと同じようにイエスを腕に抱き、神と出会わなければいけませんが、その出会いの場が「おねだりの場」となっていないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第3主日:イエスの業を引き継いでいる「わたし」は、今「やる気」があるか

今日の福音書のイエスのできごとは、いわゆる「世代交代」を宣言しているように思います。長いイスラエルの歴史の中で言い伝えられ、その実現を望み続けてきた「メシア」の到来、それが人々の前で起きているのです。