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三位一体:見知らぬそぶりができない心は神の贈り物。多くの人を癒す源

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2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

三位一体の主日(A年)の説教=ヨハネ3・16~18

2020年6月7日

「帰省自粛の学生へ古里便」「野菜や加工品500人見込む」とは、南さつま市です。南さつま市は、新型コロナウイルスの影響で帰省を自粛している同市出身の学生を食品で応援するプロジェクトを始めました。(南日本新聞2020年6月1日朝刊)

南さつま市の学生応援セットにほっこり

古里の味を励みにしてもらおうとの願いを込めて、地元産の野菜や加工品の詰め合わせを贈呈することにしています。贈り物の中身は、トマトやキュウリ、ジャガイモ、米、新茶、豚みそ、麦みそなどです。

市在住の保護者が対象で申請し、学生応援セット、故郷の味セットのうち一箱(いずれも3千円相当)を選んで受け取り、郵送するものです。本坊輝雄市長は「夢に向かって頑張る元気の源になれば」と願っているとのこと。

今年は新型コロナに明け、いまだにコロナ災害に悩まされています。どこまで続くのでしょうか。わたしたちの日常は、コロナ対策に明け暮れています。それでも、ウイルスは衰えを見せず、その感染範囲を地球全体の地域に及ぼしています。

各地でお互いの悪感情や対立が表面化

連日の報道でお分かりのように、この度の新型コロナは、人間の生活を変えるどころか、人間そのものをも変えようとしています。あちらこちらで起きる小競り合い、人種差別感も影響して起きているのか、民衆間の仕返し合い、人間の持ついやらしさが、もろ表面化しています。

そして、人間が長い歴史の中で築き上げてきた、有形無形の資産が破壊されているように思えて仕様がありません。お互いに助け合って共に成長し、豊かになっていく尊い姿がありましたが、最近では独立独歩の、しかも、我がまま的な傾向が強くなってきました。お互い「違うこと」が全人類の財産であるのに、それが対立の引き金になってしまっています。

それでも、本来の人間性を取り戻そうと頑張っている人々がいるのも事実です。新聞報道される小さな記事の中に、人としての温かみのある話を見つけることができます。冒頭に記した南さつま市の話もそうです。

いちき串木野市では塗装業者が奉仕作業

また、塗装業を営む保護者らがプール無償清掃を手掛けたという話があります。(同上誌2020年6月2日朝刊) いちき串木野市の串木野小学校に子どもを通せている塗装業者らが、ボランティアで清掃してくださったのです。例年、数日掛けて掃除をする教員の労務を減らすためだといいます。今年で三回目だそうです。元PTA会長の西田憲智さん(45歳)が呼びかけ、市内で塗装業を営む保護者5人が参加し、PTA役員、教員とともに約3時間かけて清掃しました。子どもたちの楽しくプール活動している姿が目に浮かびます。

こうした温かい心配り、行動の背景にあるものは何でしょうか。「困っている人には手をさしのべよう」という心があるからではないでしょうか。いわゆる、見て見ぬ振りができないその人の温かさです。人には誰にでも、強弱の違いこそあれ、備わっている心情であると思います。

神は憐れみ深く恵みに富み、忍耐強く

その最たる「温かさ」を示してくれる方、それが今日の祝日の主、三位一体の神です。これは神さまの神秘です。いろいろな宗教団体がありますが、ほかのどの宗教にも三位一体という神の奥義を見出すことはできないと思います。それだけキリスト教においては、最も特徴的な信仰の対象になっているのです。しかも、神のほうからわたしたちに示された真理なのです。

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イスラエルの民は、その歴史の中で、神の導きと恵みをいただきながらも、背信行為、裏切り行為をしでかしてしまったのです。その有名な出来事がシナイ山のふもとで金の小牛をつくってしまったことです。それにもかかわらず、神は怒りを早々におさめ、底知れないやさしさを示されたのでした。罰せられても、見捨てられても仕方ない状態であったにもかかわらず、人知をはるかに超えるやさしさと愛の深さをモーセに宣言されるのです。「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、いつくしみとまことに満ち、幾千代にも及ぶいつくしみを守り、罪と背きと過ちを赦す」と。

人の哀れさを見逃し、救いの手をのべる

神がその愛を示す相手は、わたしたち人間です。神とは違いエゴイズムと欲望に満ちあふれ、罪深い存在でしかないわたしたちです。にもかかわらず、見捨てることなく、その哀れさを見逃し、見捨てることができなく、救いの手をさしのべられるのです。「神は独り子をお与えになるほど世を愛された」(ヨハネ3章16節)のでした。

見て知らぬ振りができないわたしたちの中にある心情は、まさに、神からいただいた恵みなのです。その心をもって他者と接することができる限り、わたしたちは確実に神を、三位一体の神を伝えていることになるでしょう。「神を伝える」という活動は、まさしく「わたし」という一人の人間の内側から自然と満ちあふれ出る日々の営みなんですね。特別なことではないんです。改めて、そうした「わたし」を見つめなおしてみましょう。もっと素直な自分を見出せるのではないでしょうか。

日々の小さな、ホットな出会いに感謝しましょう。すべては小さなことから始まります。そこに、必ず神がいます。

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