『年間第14主日(C年)』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

聖家族:神のみ旨を探しあて、親子の人生をさらに生かし、豊かにする

「お宮参りをする」「神にささげる」等の行為は、その時が来たら、子どもが自分たち親元を離れていくであろう痛みを感じながらも、神のみ旨に自分たちの心をあげていく姿なのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

主の降誕:親と子の宝物に注目!クリスマスはヨセフとマリアの宝物にも気づく日です

ヨセフとマリアの生き方は、イエスさまの救いの業の実現という形を変えた生き方となって花開いたのです。飼い葉おけの幼子の中にその力と愛のやさしさを見つけ、もっとイエスさまに引き寄せていただきたいです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第4主日:お言葉通りに!というマリアの奉献から救いはわたしにも

神のみ前に恵みを得たマリア、それは、神の大きなまなざしに包まれ、守られているということになります。神はマリアにそのまなざしを向け、マリアを通して世界の救いを思い、悲しむ人々、傷ついた人々の上に広げていこうと計画されたのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第3主日:「わたし」に向けられた神の恵みへの道に気づいて欲しい

神の恵み、神の愛、神の思いは、わたしたちの中に、心にすでに注がれているのです。わたしたちはそれに目覚めているでしょうか。その現実に気づいているでしょうか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第2主日:メシア(救い主)の力強さは、愛するが故の最高の力です

「ゆるし続けていく」ということの中に、メシア(救い主)としての最高の力があらわれています。ですから、わたしたちは信頼と安心と安全のうちに信じ、希望し続けることができるのです。だからこそなお、わたしたちとしては、立ち直るきっかけを見逃さないことです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

待降節第1主日:「目を覚ましていなさい」というイエスのことばを考える

神のわたしたちへの愛のたしかさに気づき、さらなる望みもってこれからを生きるようにという励ましと招きが、「目覚めなさい」という言葉に託されているのではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

王であるキリスト:神は「わたし」の決定的な時に、なにをどう評価する

イエスは「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」といわれます。これは日常生活のごく普通の人間関係の中で、何気なくやっていることです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第33主日:「わたし」をよく知ることが、遠大な奉仕へと繋っている

人は、その決定的な最後の時に、神にいただいた能力をいかに活用したのかが問われるとイエスは言われます。神とマンツーマンの出会いです。その時の重大さを「わたし」は日々感じているでしょうか。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

待降節第4主日:信仰は絶えず希望をもって生活することで受け継がれる

イスラエルの民は自暴自棄の状態になってしまったことが、実際にありました。それでも、耐え、信仰を伝え続けたのでした。それは、日々の生き方の中で子どもたちに、孫たちへと受け継がれていきました。イスラエルの人々の信仰は、まさに生活そのものだったのです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

待降節第4主日:ヨセフの生き方の中心にはいつも神がいた!私たちは?

わたしたちは神を身近に感じながらも、神をあえて遠くに置いているのではないでしょうか。自分の都合に合わせて、身の程知らずに、神を操って(?)いないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第32主日:決定的な未来の時に備えよう!神と人との繋がりを基本に

自分の周りにいるあらゆる方々から学び、教わり合いながら、新たな「自分」を目指しましょう。決定的な時の重みを感じるときに、変化が起こり、新たな歩みが始まるのではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

諸聖人:普通の人だった聖人たち、だからもっと交わって、さらなる成長を

私たちがまず尊敬すべき聖人は、霊名の聖人でしょう。そのためには、少なくとも聖人の生涯を知っておくべきです。そして、その取り次を願い、交わり、日々の通常生活の中で、その手本に倣うことが大切ではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第30主日:強制ではなく自ずと湧いてくる有難さの表れが「愛の掟」

イスラエルの民は「出エジプト」という出来事に、神への愛の根拠がありますが、今のわたしたちにとっては、イエスの十字架の贖いという普遍的な根拠があるのです。イスラエルの民同様に、神からの一方的な恵みの賜物です。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第29主日:日々、自分の力だけに頼っていませんか

「神のものは神に」とは、わたしたち一人ひとりのこの世の人生は、神を無視し自分の力に頼るのではなく、神の愛による力、恵みによるものであるという真実に目覚め、神に感謝することなのです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第28主日:ミサへの参加が、生きた「天国」の体験となるように!

ミサにあずかり、神の恵みの席に招かれたとしても、「礼服」つまり、真実の回心を伴っていなければ、単なる形式、儀式でしかありません。「外の暗闇に放り出されて」しまいます。ミサへの参加は目に見えるそのチャンスのときです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第27主日:わたしの回心を妨げているもの、それは自分自身の中に

表面をいくらつくろってみても、また、駆け引きで面子が保てたとしても、所詮、利己的な己の世界を脱することはできません。権威と地位に胡坐をかくことなく、自分の、今置かれている立場を振り返って見つめましょう。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第26主日:信仰者の「良心」は、素朴な「業」の繰り返しの中に

信仰者としての「良心」の育ちも繰り返しが大事なのでしょう。だから、「信じる心」が根付くために、素朴な、単純な「業」(信心業)の繰り返しを大事にしたいですね。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第25主日:神は人のみじめさに敏感、神の秤は人に対するあわれみ

神は人間のみじめさに反応してくださる方です。罪を犯す人間のみじめさに敏感になってくださる方です。人間は自己本位の楽しみだけにとらわれがちですが、神はわたしたちを見捨て置き出来ないのです。神のはかりは「あわれみ」なのです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第24主日:日常に生きている「わたし」の中に育つイエスの心

「やさしさ」は、日常の生活から離れて何か特別なステージを設け、体験しなければ得られないものではありません。通常のごく日常的なできごとの中でこそ味わい、得ることのできる心です。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第23主日:一粒の砂のようであっても、神は「わたし」を気にかける

わたしたちの共同体(教会)は、イエスが中心にいる集いです。どんな小さな一人でも滅びることがないようにと願う神の思いが実現されるために、わたしたちは悔い改めを必要としている人への働きかけを、今日もするように求められています。