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カトリック教会の日曜日の説教

2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第4主日:弱さ&脆さを帯びて生きる生涯、その後ろには神の愛がある

イエスがきょう福音書でおっしゃっている「心の貧しい人」とは、今の自分の生きる元気、活力を人間的な打算に求めるのではなく、神に求める人・・・このような人のことだというのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第3主日:子どもの単純さ、純粋さがいちばん!それがイエスに出会う近道

イエスは、ご自分がなさろうとしている業を前に、辺境の地で「悔い改めなさい」と人々に求めます。今の「わたし」はどうでしょうか?子どもたちはどの国の子どもでも単純ながらも、純粋な心で、信頼の心をもって親に、大人についていきます。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第2主日:絶えず新たな問題が起きる現代、ヨハネの情熱に感染したい!

教会の2000年余りの歴史の中で、たくさんの体験をし、苦難を乗り越え、多くの聖人を輩出し、そして今、わたしたちの生活現場で、絶えず新たな問題に向かい合っています。洗礼者ヨハネの情熱は、今のこの「時代」にどのように浸透し、感染していくでしょうか。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

主の公現:占星術の学者たちは、「キリスト」に出会いたい人の右代表

占星術の学者たちは、天からのしるしにその心を開き、エルサレムへと向かいます。一方で、ヘロデも「星」について尋ね「わたしも行って拝もう」と言うんですが、その真意は幼子を抹殺することにありました。「星」はすべての人のために輝いています。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

神の母聖マリア:全人類の母は「出来事を」心に留めて、思い巡らす

マリアは、あのお告げの時に告げられた大天使ガブリエルの言葉の意味をも、うまく理解できていないのです。ひたすら温め続け、さらに思い巡らし続けているのです。すべてを理解できる日が必ず来るからです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

主の降誕:「イエス誕生」の出来事そのものは、そのメッセージを語っている

幼子イエスの中に救い主の姿を見出すことは、いたって困難を極めました。しかし、外に見える弱々しさとはうらはらに、イエスの真の姿は、地上に生きる人々の中に沁み透っているエゴイズムに代わる愛の息吹を、そそぎ込もうとなさっているのです。エゴイズムは人間の最大の不幸です。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第4主日:神の言葉に従ったヨセフによって、救いの計画が始まった

苦悩するヨセフを天使が夢の中で励まし、救いの神秘が明らかにされたのです。そこでヨセフは夢から覚めると同時に旧約感覚からも目覚めたのです。ヨセフの「戸惑い」も払しょくされました。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第3主日:神のことばを活動の中心に!まずはそのことに目覚めたい

わたしたちは神を人間の思考範囲の中に閉じ込めようとしがちです。人間の思いの中で、いつの間にか神を都合よく利用しようとしているのです。こうした誘惑から解放されるには「時」がかかるでしょう・・・
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第2主日:救い主を待つことが今の生き方にどんな影響を与えるのか

「救い主が来る」ということが、「わたし」の今の生き方にどんな影響がありますか。そのことを、今日の福音のみことばから、イスラエルの人々の「待つ姿」の中に見出してみましょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第1主日:キリストの降誕を待つ者は、「わきまえる」ことを知っている

きょうのイエスの招きは「わきまえていなさい」ということではないかと思うんです。「わきまえ」があれば、どのような場面に遭遇したとしても、賢明な判断と行動ができるようになっていきます。これが「待つ」ことの実りではないでしょうか。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

王であるキリスト:イエスを受け入れるのか拒むのか。その選択が迫られている

イエスの最後の瞬間においても、イエスを受け入れる人と拒む人が存在しているのです。この二つの十字架観のどちらを選ぶか、わたしたちにもその選択を迫られています。今「わたし」の目の前にある十字架、それは絶望か希望か。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第33主日:「本物の信仰」は日々の窮屈さ、辛さを経て、成長する

信仰のために迫害されること、今はないかもしれませんが、信仰者であるがゆえに、窮屈さと苦しさを感じることはあるかもしれません。このような体験を積み重ねることによって、わたしたちの信仰はイエスの思いにより近く高められていきます。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第32主日:信仰は日々の戦いの真っただ中で、試され、高められていく

ふるさと広報誌を編集する担当者が営々と引き継がれていったように、わたしたちの信仰も、絶えず前に進む動きを止めないことです。そこから、朽ちないものを選び、会得する道を切り開いて行く新たな力をさらにいただくことができるでしょう。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第31主日:わたしたちは「強く望み」そして、直ちに動いていますか

年間第31主日(C年)の説教=ルカ19・1~102022年10月30日ザアカイは「イエスがどんな人か見ようとした」今日の福音書では、また、イエスとの一つの出会いが語られています。その出会いの相手とは、徴税人のザアカイです。しかも、「徴税人の...
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第30主日:「わたし」のありのままを見てください、主よ!

ファリサイ派の人が義とされなかったのは、自分の努力によって弱さを克服しようとし、「自らを頼り」にしたことなのです。自らを「義」とすることはできません。それは神にしかできないことです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第28主日:感謝の心を素直に、直ちに行動に移す。そこに救いが・・・

今日の福音では、いやされたことに気づき、感謝するためにイエスのもとに戻ってきた一人のサマリア人がいます。わたしたちも恵みを感じたら直ちに行動に移しましょう。そのために体を動かしましょう。イエスのもとに戻って、あらためて「感謝する」ためです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第29主日:今日の福音の要は、神を「信頼して待ち続ける」こと

やもめのように、神に向かって叫びをあげなければいけない、とイエスはわたしたちに訴えています。神こそが力ある方だからです。しかし、待つことが求められるかもしれない。それでも、信頼しつつ待ちつづけるのです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第27主日:神と人との隔たりは無限。だから、神からの恵みを願う

神は創造主であり、わたしたちは被造物です。したがって、神とわたしたちの間には本質的な差があります。神と交わりを持てるとすれば、それは、ひとえに神からの一方的な恵みによるものです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第26主日:自分の周りの声なき声、叫びに心の耳を研ぎ澄まそう

大事なことは、生きている間の一人ひとりの「生きている姿」が、死後のあり方を決定しまうということです。ひとこまひとこまの中に、死後の世界につながる重さが横たわっているということです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第25主日:「この世の富」は友を作るため、他人のために用いなさい

今日の福音でイエスが言いたかったことは、この世の富は自分のために貯めこむのではなく、友を作るため、人のために用いなさいということです。それが、自らにいい結果をもたらし、天に自らの宝を摘むことになります。