『年間第33主日』の聖書と説教はこちら

2013年/C年説教=寄り添うイエス

2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第30主日:祈りは、他者との関係から生まれてくる「わたし」の奉献

祈りは実に単純、簡潔、飾り気がありません。取税人は顔もあげず、罪深い自分をあわれんでください、とだけ訴えます。それ以上は要らないのです。隣人を責めるでもなく、ひたすら自己のみじめさをさらけ出します。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第17主日:祈りは存在の限界を知り、神に委託する心で

年間第17主日(C年)の説教=ルカ11.1~132013年7月28日   年老いたご夫婦の姿が目に入りました。ご主人は歩き、その傍らには膝で歩いている(?)奥様がいらっしゃいました。その膝たるや血が滲んでいました。こうした光景は聖なる巡礼地...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第16主日:神は「憐れみと愛にあふれた」活動を評価される

年間第16主日(C年)の説教=ルカ10.38~422013年7月21日   何の理由も無く、いきなり「君はなんて無駄なことしているの」といわれますと、正直言って、ムカッときてしまいます。自分がされるとそうなんですが、同じようなことを、自分が...
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年間第26主日:おもてなしは敏感な感受性をとぎすますこと

「おもてなし」は他者に開かれた人間本来の生き方が込められています。自分が持っている命も財産も、すべてが他者のために活かされてこそ、本来の価値が、重みが出てきます。自分が持っているものは、所詮、自分のためだけにあるのではありません。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第25主日:イエスは「不正な管理人」をなぜ褒めたのか?

この世の富は、所詮、不正にまみれています。しかし、わたしたちはその不正な富を使うしかないのです。明らかに、管理人の行動は、神と主人を意識してのものではありませんが、借金のあるかわいそうな人の側に立ったのでした。
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年間第24主日:教会共同体は、みなが喜ぶ集いになっているでしょうか?

救いに条件があるとすれば、集められたわたしたちが、一緒に喜ぶ「つもり」があるんですか、ということです。今の教会共同体がみな、「一緒によろこんでいる集い」になっているかどうかです。
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年間第23主日:イエスさまは生きる最高の価値を「神」に置く

現代でも、有名人になれば一目見たいという好奇心がわいてくるものです。この「好奇心」の陰に横たわっていた人々の現世的利益と幸福を願う思いを、イエスさまは徹底的に崩してしまおうとされたのでしょう。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第22主日:「生かされている」という謙虚さが平和をもたらす

外見上の見栄ではなく、「自分」がよってもって立っている根拠(神の無償の愛)に気付けばそれだけ、「わたしらしく」それだけ「謙虚に」なっていく自分が見えてきます。誰でも、その瞬間をだれかに生かされ続けていくのです。
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年間第21主日:「狭い戸口から入るように!」は鍛錬の勧めです

イエスさまとつながっている限り、その業は具体的であり、大きな助けとなっていきます。この確信を深めたいですね。「狭い戸口」は特別困難な入り口ではなくなるのでは、・・・。
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年間第13主日:イエスが弟子たちに要求した「覚悟」とは?

イエスさまのことばに、ご自分の使命への厳粛さとやり遂げようとしているイエスさまの強い思いを感じます。「手をすきにつけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」と。
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年間第12主日:社会の喧騒から抜け出し、心の燃料補給をしっかりと

バランスのとれた活動と祈り(休憩)こそが、使徒としての、キリストの弟子としての生きざまといえます。いわば「動と静」のバランスです。それにプラス、自己奉献といいますか、自己放棄の心が加わるようにとイエスさまは望まれます。
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年間第11主日:愛とは自分のすべてをさらけ出し見せること

年間第11主日(C年)の説教=ルカ7.36~8.1~32013年6月16日      人としての生き方はそれぞれです。どの生き方が幸せなのか、その人にしかわからない世界といえます。その生き方によって、その人の「タイプ」が決まるような気がしま...
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年間第10主日:日常の中で、神の具体的な関与に気づきたい

イエスさまがゆきづまったある母親の心を察して、そのあわれみを示されるのです。人の悲しみ、痛ましい姿を見て見過ごしてはいられないイエスさまのやさしさがうごめきだしたのでした。
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年間第4主日:庶民の痛みに敏感なイエスvs故郷・ナザレ人の思惑の対立

故郷の人は自分たちの周囲が見えなくなってしまったのでした。一般庶民の痛みに敏感であったイエスさまに、ナザレ人は共鳴できずイエスさまを誇りに思うどころか、排斥してしまうのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第18主日:蓄えるべきはモノ、金、名誉ではない!善行だ

年間第18主日(C年)の説教=ルカ12.13~212013年8月4日  「富は多くの友人をつくるが、貧しい人は友人に見捨てられる」(格言の書19章4節)とか、「金持ちが滑ると助ける人は多く、ばかなことを話しても、人はもっともなことだという。...
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年間第15主日:自分の方から隣人に近づいていくことこそ大事

お互いが「隣人になっていく」ことに、敵も見方も無いよと、今日のイエスさまはおっしゃいます。半死半生の人の隣人になった人が、当時、敵視されていたサマリア人であったことはこのことを指し示しています。
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年間第14主日:任命を受けて発生する権威は「奉仕」するため!

弟子たちも「選ばれた」ことによって権威をいただきましたが、派遣された自分よりも派遣してくださった方にこそ、すべての宣教活動の源泉があるのです。
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年間第28主日:神の国は、見える形では来ない。あなたがたの間にある

「感謝する」とは、ただ単にお 礼の言葉を伝えるだけでなく、その人の信仰告白を含む行いでした。当時、仲間としてのお付き合いのなかったサマ リア人が感謝を述べたことに意義があります。
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年間第27主日:神の愛が先にあることの気付きが真の信仰に導く

神からの愛に見合うだけの愛を返すことはできないほど、神からの愛は無償で温かくて深い。だから私たちは「しなければならないことをしただけです」としか言 いようがないのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第33主日:イエスの励ましと支えが日常で感じられますように!

イエスさまは「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしはあなたがたに授けるからである」と励まされます。