『復活節第5主日』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

2012年/B年説教=主との出会い

年間第15主日:窮地で「神がどうにかしてくれる」確信を持つ

大事なことは、窮地に立たったとき、「神がどうにかしてくださる」という確信があるか。「満足度」をそこに感じるか。日頃からの訓練が必要です。信仰も鍛錬されなければいけないのです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第16主日:心の「ガソリン・スタンド」に立ち寄りましょう

真の使徒職は、原点がその人個人の喜びにあるのではなく、神の深みに触れるところにあります。何物にも邪魔されないで神との出会いが実現するように、人里離れた所に誘われたのです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第29主日:「無償で他者に仕える」のがイエスの真の弟子

お母さんは子どもに対してごく自然に振る舞います。その行為を惜しいとも損をしているとも思わずむしろ、安らぎとよろこび、躍動感をも感じるといわれます。まったくの無償の愛です。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

復活の主日:復活の核心は苦しみ、悲しみのきわみの果てに

主の復活(C年)の説教=ヨハネ20.1~92013年3月31日   ものごとの変化、成長は、その周囲の環境に影響されていきます。わたしたち人間も例外ではありません。嬉しいことがあれば、それが他者の慶事でも、自分までもが楽しくなってきます。逆...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第3主日:信仰年の今こそ、再三再四繰り返す訓練を

イエスさまのみことばも同じでしょう。つまり、大昔に語られたことば、教えとはいえ、繰返し読みなおし、黙想する度に、イエスさまとそのたびに新たに出会うことができます。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第5主日:信仰は超常識。人間の頑張りには限界がある

「信じること」は、一対一の個人的な呼びかけです。それは、「わたし」が生きる具体的なところにおいてです。家庭であり、職場であり、地域の生きる場です。そこでこそ訓練され、身についていく「賭け」の生き方です。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

受難の主日:ゆるしをキーワードに神との絆を見直し、深めたい

受難の主日/枝の主日(C年)の説教=ルカ23.1~492013年3月24日今日からいよいよ聖週間に入ります。毎年のことながら、同じ典礼季節はめぐってきます。ただそれだけで終わっているとすれば、なんともったいないことでしょうか。今年の桜は、例...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

復活節第5主日:イエスが教える愛の基準は「自己放棄」

復活節第5主日(C年)の説教=ヨハネ13.31~352013年4月28日人はそれぞれにその人の歴史、苦悩と喜び、辛さと楽しさ等をかかえて生きています。しかも他者にはわからない状態で累積されていきます。そして、それがその人の人となりにも少なか...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

復活節第6主日:喜べ!別れがあれば新たな出会いがある

復活節第6主日(C年)の説教=ヨハネ14.23~292013年5月5日   わたしたちの生活は、出会いと別れの繰り返しの毎日といっても過言ではありません。自分に気の合う人もいれば、そうでない人もいます。それによって付き合いの中身も変わります...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

主の昇天:見えないが別の形で「共にいる」から心配無用

主の昇天(C年)の説教=ルカ24.46~532013年5月12日わたしたち人間は、等しく、例外なく、限られた時間の中で生活しています。そして、この生き方を楽しむように向けられています。時の移り変わりの中で生きている限り、いつかは終焉の時が来...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

三位一体:神と人の関係はコーチと選手の関係に似ている

三位一体の主日(C年)の説教=ヨハネ16・12~15 2013年5月26日 人間は一つのことに秀でていると他のことはそうでもない、というケースが普通ではないかという気がしますが、・・・。今プロ野球で話題になっているのが、藤浪晋太郎(阪神)と...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

キリストの聖体:人には豊かな包容力のある存在者が必要

キリストの聖体(C年)の説教=ルカ9.11b~172013年6月2日 先進国がかかえる問題点なのでしょうか。さびしい、やるせない気持ちをかかえている子どもたちがこんなにまでたくさんいるとは、・・・。わたしたちが目指している人としての育ちの要...
2014年/A年説教=神のたしかさ

受難の主日:イエスの悲痛な叫びは弱い人間に共感する証

イエスさまが「・・・自分を無にして、人間と同じものになられました」という時、わたしたちに共感できる方であるということです。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

カトリック:聖ペトロ、聖パウロ使徒(A年)の説教

2014年6月29日(マタイ16.13~19) -朴訥な聖人- 2014年4月27日、バチカンで、福者ヨハネ23世教皇と福者ヨハネ・パウロ2世教皇が列聖されました。2か月前の出来事ですが、改めて思い起こしてみますと、なんとわたしたちに身近な...
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活祭:主の復活は絶望の中に希望を湧きあがらせてくれる

年老いてもなお、周りの人に元気とやる気を与え続けられるひとも、その人なりの「復活」と言えないでしょうか。年齢を重ねて、その年齢にあった魅力を、新たに生み出しているのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活の主日:人間的常識にこだわる限り、「わかりません」としか言えない

すべての人に死は訪れます。人間的に見れば、死によってすべてが終わりです。しかし、「主の復活」は神とつながっている限り、死を乗り越えて新たな命につながっていくことを、わたしたちに保証してくださった、大きな希望をいだかせてくれる出来事です。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

主の昇天:節目を大切に!転機に際しては「神の愛」を中心に据えてほしい

主の昇天は弟子たちにとって大きな転換期となりました。わたしたちの日常でも、このような転換期はあります。どのように感じ、意識しているのでしょう。弟子たちは、神に生きる中心をおくことができました。わたしたちは完全にできなくても、少なくとも、その方に向かおうとして祈り、動いているでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第22主日:日常の小さな行いの積み重ねがイエスの十字架に繋がる

わたしたちの日常の小さな愛の行いの積み重ねが、イエスの十字架につながっています。大きいことはできなくても、積み木のように一つひとつ重ねていきたいもの。現代では、この「小さなこと」が見過ごされているのではないでしょうか。