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カトリック教会の日曜日の説教

2012年/B年説教=主との出会い

年間第19主日:とんでもない馬鹿げた話を思い巡らすゆとりを

弟子たちは「思いめぐらし」ながら、イエスさまの証人としての成長を遂げていきます。走りっぱなしでは疲れ果てます。急ぎ足ながら、じっくりと歩み続けましょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第20主日:平和に対しては「ないものねだり」はしないのでしょうか

育ちの環境の違い、民族の違い等、「違い」が、平和実現の邪魔にはなりえないということでしょうか。むしろ「違い」は豊かさへの出発点のような気がしますが、いかがでしょうか。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第20主日:人に対する嘆きはグチだが、神につぶやけば祈り

イエスさまが期待する信仰者は、純粋に救いに飢えている人です。イエスさまは、叫び続ける母親の中に真実の信仰を見いだし「『婦人よ、あなたの信仰はりっぱだ。あなたの望みどおりになれ』。娘はそのときから治った」と。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第18主日:「自分の力」は他者の力、支援があればこそ威力を発する

イエスさまのみが存在の根拠。その人の欲のおもむくままに行動する時、「独裁者」の存在しか見えてきません。奉仕者の姿ではなくなります。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第18主日:群衆が理解しなかった聖体はカトリック教徒の原点

わたしたちの信仰は、イエスさまの論理的な教えの実践にのみあるのではなく、その中心には聖体に対する信仰があることを忘れてはいけないのです。聖体訪問を勧めます。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第15主日:自分の方から隣人に近づいていくことこそ大事

お互いが「隣人になっていく」ことに、敵も見方も無いよと、今日のイエスさまはおっしゃいます。半死半生の人の隣人になった人が、当時、敵視されていたサマリア人であったことはこのことを指し示しています。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第16主日:忍耐強く待ち、ともに育ち、すべての判断は神に任せる

わたしたちの共同体も、よい人も、いい加減な人もともに育ち、そして、少しずつでも神が望まれるファミリー共同体を、毒麦を抱え込みながら、成長して生きましょう。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第16主日:裁きは神の領域、毒麦の話は人を裁くことの危険性

人を批判するよりも、わたしたち一人ひとりがイエスさまとの出会いができるように祈りあい、また、お互いの弱さや過ちを背負いあっていくことができるのが一番です。毒麦の話は、このことを訴えているようです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第15主日:種は蒔かれた場所によって育ち方が大きく変わる

イエスさま時代のパレスティナでは耕さずにまず種を蒔いていたので、種自体はみな等しい生命力を持っていたはずですが、蒔かれた土地によって生育に大きな違いが出てきます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第15主日:イエスさまの福音が実るか無駄になるかは「わたし」次第

仮に、イエスさまのことばが、教えが無駄になったとしても、語ることを決してやめないのが、救い主・イエスさまの姿です。むしろ、止めることができないのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第14主日:任命を受けて発生する権威は「奉仕」するため!

弟子たちも「選ばれた」ことによって権威をいただきましたが、派遣された自分よりも派遣してくださった方にこそ、すべての宣教活動の源泉があるのです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第14主日:神から無限に「愛されているわたし」の自覚を

イエスさまとおん父との関係が、すべての人に対する自己開示の力と勇気をいただく根拠があります。神の無限の「招待」に対する返事を、これからの生き方の中で見せていきましょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第14主日:愛する人のためには、その人の苦労を引き受ける

わたしたちは、一人ひとりがイエスさまの愛の対象とされ、重荷、労苦を解決する力を、イエスさまは持っているということへの招きでしょう。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第28主日:神の国は、見える形では来ない。あなたがたの間にある

「感謝する」とは、ただ単にお 礼の言葉を伝えるだけでなく、その人の信仰告白を含む行いでした。当時、仲間としてのお付き合いのなかったサマ リア人が感謝を述べたことに意義があります。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第27主日:神の愛が先にあることの気付きが真の信仰に導く

神からの愛に見合うだけの愛を返すことはできないほど、神からの愛は無償で温かくて深い。だから私たちは「しなければならないことをしただけです」としか言 いようがないのです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第21主日:聖と俗のペトロはわたしたち信仰者の始まり

ペトロの中にある強さと弱さ、美しさと醜さ、その中で彼の信仰は強められていったのでした。今に生きるわたしたちとて同じです。心の奥では崇高な神を見つめながら、一方では平凡な幸せを求め、汚い欲望に引きずられている自分を発見します。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第21主日:信仰とは、「神の味方であるかどうか」ということです

イエスさまの正体は「何者か」。今日の福音でペトロが「まことにあなたは神の子です」と宣言することによって、イエスさまの正体はわかっていることを証明します。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第12主日:求められれば己を差し出す心を育てていくように

「自己放棄」「隣人愛」の実践をイエスさまはその生涯の中で展開してきました。使徒たちには、これに倣うようにと言われるのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第33主日:イエスの励ましと支えが日常で感じられますように!

イエスさまは「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしはあなたがたに授けるからである」と励まされます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

三位一体:神の”やりすぎ”と思えるほど深い真心に甘えよう

三位一体の(A年)の説教=ヨハネ3.16~182014年6月15日この地球上にいくつの宗教、信仰があるのでしょう。興味はあってもその課題に取り組んだことはありません。ただ、「宗教」というからには、人の生き方と密接に関係しているのは共通のよう...