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カトリック教会の日曜日の説教

2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第17主日:中身や伝え方の工夫など、キリスト者側にも責任がある?

渇きが満たされないのはどうして?善意ある人々、彼ら本人だけの責任でしょか。その時代の人々が抱えている問題、また不安に対して、キリストのメッセージをいかに伝えているのか、その中身、伝え方の工夫はどうなのか、問われることがありはしないでしょうか。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第16主日:毒麦の話は外見で評価し、裁いてしまいがちな人間への警鐘

毒麦のたとえは、いわゆる「悔い改め」に気づく時間を、わたしたちに与えてくださっているのです。同時にこれは、外見で簡単に人を裁くな、それは神の領域の世界である、と言われているのです。自分の「はかり」ほど身勝手で、不安定で不確実なものはありません。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第15主日:かけがえのない宝を得るために⇒み言葉の前で素直に

イエスは無駄になるかもしれない相手であっても、語るのをやめなかった。それはなぜか?み言葉が豊かで強い生命力を持っているからです。わたしたちの心もイエスの言葉、福音が育つ土壌として、ますます肥沃になっていきますように!
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第14主日:「幼子のような者」に示される神の隠し事、それは…

「知恵ある者や賢い者」は、自分の力で救いに達しようとしますので、イエスが示そうとする天の国の福音を受け入れようとしないのです。それに比べ「幼子のような者」は、神に信頼するしか道がありません。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第13主日:隣人愛を真実のものにし、永遠のものにするイエスの教え

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15章12~13節)
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年間第12主日:恐れるな、思い出せ!お前の命は神の保護のもとにある

弟子たちと同じような辛い境遇に置かれることはありませんか。そのような境遇を、自らが作ってしまいたくなるような「安易さ」「誘惑」がないでしょうか。それでも!わたしたちは神の保護のもとにあります。だから、現在の恐れも未来の恐れも、恐れるなかれ、なのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第11主日:一歩でも前に!誰にでもイエスのやさしさを実践できる

イエスは絶えず、人に向かっています。わたしたち一人ひとりも、その働き人として招かれています。仮に献身的に奉仕できなくても祈ることはできます。召命のために祈ることは、立派な宣教活動です。イエスのわたしたちに示された愛の業の継承者です。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

キリストの聖体:聖体はイエスの救いの業を伝える神の愛の深いしるし

聖体の秘跡を制定されたのは、神は人が滅びるのを望まれないからです。神のみことばであるイエスは、自身の「血と肉」を差し出すことによって、信じる者の中に「いのち」を実現させるのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

三位一体:「独り子」の歩みの中に、神からのわたしたちへの愛を見る

神からの働きかけに対して、わたしたち人間のとるべき態度といえば、それは「信じる」ことです。そうすれば、将来を待つまでもなく、今「裁かれない」状態にあるというのです。「裁き」は将来起こることではなく、今ここで起こっているのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

聖霊降臨:聖霊の業、それは冷え切った心を温め、どんなときにも前に進む力

神の働きに逆らう何かを持っている「わたし」でも、悔いて、素直に自らを開くとき妨げは取り除かれます。聖霊の働きにより、どんなに悪の波が押し寄せても、それらを跳ねのけていく力が湧いてくるのです。これが聖霊の業です。
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主の昇天は、別れであるとともに、「わたし」の信仰、救いに目覚めるとき

主の昇天は、別れであるとともに、「わたし」の信仰、救いに目覚めるときでもあります。そのためにも、人とのかかわり、「出会い」はすべてにおいて「わたし」に必要です。そして、大切です。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活節第6主日:聖霊が「わたし」の行動の原動力であり続けるためには

イエスは「世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている」と言って、弟子たちに聖霊を受け取る約束をなさいます。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活節第5主日:「時」は、人の常識を超えた神の業に気づくとき

与えられた毎日は、イエスに対するわたしたちの信仰の試練の場でもあります。今日の福音では、その試練を乗り越える力がイエスとともにあることを信じ、受け入れていくようにと弟子たちを励まします。「時」の大切さ、そこに人間常識を超えた神の業があることを受け入れ信じていきましょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活節第4主日:自分の魅力とは?イエスの前で見つめ直すともっと豊かになる

神に背を向けて孤独と不安のなかで生活しているわたしたち一人ひとりを、あわれと思ってくださるイエスの心こそが、わたしたちがいただいているタレントをさらに生かし、「わたし」の魅力をさらに増してくださるのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活節第3主日:主の復活は、人間の尺度を超えた「救い」の道を示した

イエスは人間の尺度でしか考えられず、判断できない弟子たちの心を嘆いておられるのです。今もなお、イエスはわたしたちにそっと語り掛けています。「わたし」はイエスが示された新しい「はかり」に気づいているでしょうか?
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活節第2主日:主の復活が「わたし」の平安、希望の要に繋がっているか

絶望のどん底に追いやられるようなことがあっても、復活したイエスを見つめること、イエスに思いを馳せることができるときに、揺らぐことのない自分を保ち、また、平安をいただくことができるでしょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活の主日:主の復活を信じた最初の者・ヨハネは、空の墓で何を見たのか

ヨハネは空になった墓を見たのですが、実は、さらに彼の眼前の光景の奥に潜んだ「もの」を見て(洞察)いたのです。そして「信じた」のでした。イエスの愛をヨハネはその時に感じたのでしょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

受難の主日:イエスはなぜ、苦しみの道を通らなければならなかったのか?

昔からの言い伝え、きまりを大事にするあまり、本物を見失っていくことはよくある日常的なことでしょうが、それも、その「もの」の重要度、必要度等によります。そこで、今一度はっきりと見つめてみましょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

四旬節第5主日:信じること、それは、神の栄光を現すこと⇒いのちへの扉

「信じる」ことは生きるために、救われるために、平和に暮らすためになくてはならない「宝物」です。イエスを信じるといえば、イエスに関することをほんとうだと思い、イエスに信頼をおき、イエスに帰依することです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

四旬節第4主日:この世の世界で、”見るべきもの”が見えているのか?

目の不自由な人は、ユダヤ人と真っ向から向き合い、確信に満ちて一歩も退く気配はありませんでした。そして、「イエスはメシアである」と宣言してはばからないのです。目が見えている人には見えていない世界、神の世界が、目が見えていない彼には見えていたのです。