カトリック典礼暦年2010年(2009年11月~2010年11月)は、主にルカ福音書が朗読されるC年。Fr.YASUさんの今週の説教の年間テーマは「神のまなざし」です。
年間第30主日:祈りは神の心に自分の心を合わせようとする行い
祈ることが苦になるとき、むずかしさを感じるとき、隣人に対する自分のあり方はどうなのかを振り返ってみること。思い当たるところがあったら、そのわだかまりに注目してみること。そのことを訴えることも立派な祈りになります。
年間第29主日:神は行き詰まりをご存知なので、信頼して待つこと
神はいつも、わたしたち一人ひとりの幸せに配慮なさる方です。神が何もしてくださらないと思う時、事があっても、「信頼して待つ」ことです、と今日の物語はわたしたちに訴えます。わたしたちが願う前から、神はわたしたちの行き詰まりをご存知です。
王であるキリスト:絶望から希望への転換で特別なことは必要ない
自分の罪とその汚れに目覚めるだけでいいのです。あとは、イエスさまが引き受けてくださいます。また、イエスさまは、その人の過去の償いを求めるわけでもありません。責めたりもしません。救いの道はゆるしだけなのです。
年間第33主日:神の愛への信仰が苦しみを耐え抜かせてくれる
肉体的な殉教という現実は、今ではないでしょうが、精神的には今でも絶えず繰り返されているのではないでしょうか。「祈り」こそ、このことを物語っています。「どうぞ、主よ、わたしたちの信仰を増してください!」
年間第32主日:カトリック者の生き方の中心にあるのは「復活」
イエスさまを裏切り、否定したペトロや、損得の勘定でイエスさまを売ったユダの生き方に近いのが私たちの現実であるといえないでしょうか。これが今の「わたし」であるとすれば、そのままをイエスさまの前に差し出すしかできないのです。
年間第28主日:傷ついた心を癒してほしいとき最高峰に神がおられる
仮に人が裏切ることがあっても、神のあたたかな愛はいつもわたしたちの上にそそがれています。ある意味で「当たり前のこと」(神の保護)を当たり前として受け止め、当たり前の反応を示すことがいかに大事であるか、改めてじっくりと見つめてみましょう。