『受難の主日』の聖書と説教はこちら

カトリック教会の日曜日の説教

2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第30主日:イスラエルでは、神を愛することがなぜ掟だったのか

日本的な言い方をしますと、神さまは、イスラエル人の「恩人」でした。いわゆる、神に「義理」があるのです。その限り、どんな方よりも、優先しなければならない存在者なのです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第30主日:わたしの存在は自分の力ではなく神の恩恵による

神をたいせつにする根拠は、神から受けた「恩義」。イスラエルではファラオの奴隷であった民が、神によってエジプトから導き出されたという事歴史的事実から、神を大切にしなければいけないという結論が出ていました。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第30主日:「あなたが信じる神はどんな方?」と問われたら

年間第30主日(B年)の説教=マルコ10.46~522012年10月28日 わたしたちは毎日、たくさんの方と出会い、いろいろな出来事に遭遇し、知らず知らずのうちに、それらに感化されています。その体験が豊かな人ほど、人間性が豊かであり、平安で...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第17主日:祈りは存在の限界を知り、神に委託する心で

年間第17主日(C年)の説教=ルカ11.1~132013年7月28日   年老いたご夫婦の姿が目に入りました。ご主人は歩き、その傍らには膝で歩いている(?)奥様がいらっしゃいました。その膝たるや血が滲んでいました。こうした光景は聖なる巡礼地...
2012年/B年説教=主との出会い

年間第17主日:今を満たすパンより永遠の命にいたる糧が大切

パンの奇跡は、「今」人の腹を満たすだけの力があるということを見せるのではなく、「永遠に」命のパンであることを人々に分かってもらいたいとのイエスさまの祈りがありました。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第16主日:神は「憐れみと愛にあふれた」活動を評価される

年間第16主日(C年)の説教=ルカ10.38~422013年7月21日   何の理由も無く、いきなり「君はなんて無駄なことしているの」といわれますと、正直言って、ムカッときてしまいます。自分がされるとそうなんですが、同じようなことを、自分が...
2012年/B年説教=主との出会い

年間第28主日:一つだけ足りないことは生ぬるさからの脱出

「持っているものをことごとく売り、貧しい人々に施しなさい」(マルコ10.21)。この言葉は、豊かな文明社会で、熱くなく、冷たくなく、なんとなく生きている私たちへの勧告でもあるでしょうか。
2010年/C年説教=神のまなざし

年間第28主日:傷ついた心を癒してほしいとき最高峰に神がおられる

仮に人が裏切ることがあっても、神のあたたかな愛はいつもわたしたちの上にそそがれています。ある意味で「当たり前のこと」(神の保護)を当たり前として受け止め、当たり前の反応を示すことがいかに大事であるか、改めてじっくりと見つめてみましょう。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第28主日:いい人との関わりを通して大きく成長していきたい

イエスさまを取り巻く人々の存在は、イエスさまにも少なからず刺激をあたえてしまうのです。しかし、地上の現実にのみ心を奪われている人々には、イエスさまのことば、招きが入り込む余地はありません。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第27主日:イエスさまはいつも、援助の手を差し伸べています

日常の生活の中で、出会ってきたイエスさまの言葉、行いの中に、その実、本当の救いへの道筋が示されていたのです。それを発見するのを妨げているものは何でしょうか。自分の心の奥をじっくりと眺めてみましょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第27主日:欲望が自分の悔い改めを妨げていないか確認すること

表面をいくらきれいに飾っても、その「化けの皮」は剥がれていきます。あくまでも表面だからです。「嘘の皮」はそぎ落として、その奥を見つめましょう。謙虚であり続けるために、・・・。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第26主日:おもてなしは敏感な感受性をとぎすますこと

「おもてなし」は他者に開かれた人間本来の生き方が込められています。自分が持っている命も財産も、すべてが他者のために活かされてこそ、本来の価値が、重みが出てきます。自分が持っているものは、所詮、自分のためだけにあるのではありません。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第26主日:自己中心に動く人に真の救いはあり得ない

狭い心ではなく、広い心をそなえた人として動く時、イエスさまの意図することが分かり、真の救いに到達できるのです。そこには俗っぽい駆け引きは存在しません。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第26主日:人間には「悔い改める」という行為ができます

悪いと思いなおして態度を改めていくのです。このようなことを何度も体験なさってきたのではないでしょうか。そこに、わたしたちの成長があります。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第26主日:良心の働きに気付いた時が「考え直す時」です

今日の福音に登場する二人の兄弟は、二人とも「幻惑」と「考え直す」時を体験し、一人は「あるべき道」に戻りましたが、一人ははずれていきました。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第25主日:イエスは「不正な管理人」をなぜ褒めたのか?

この世の富は、所詮、不正にまみれています。しかし、わたしたちはその不正な富を使うしかないのです。明らかに、管理人の行動は、神と主人を意識してのものではありませんが、借金のあるかわいそうな人の側に立ったのでした。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第25主日:「ありのまま」で神の前における品位こそ大切

ありのままの自分を隠すことなく、そのあさましさに留まりながら、謙虚さを学ぶ。人間的には品位がないように見えるような状態の中に、実は、神の前における品位があったのでした。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第25主日:神は人間の常識を超えて「あわれみ深い」

今日のたとえ話の雇い主は神です。そこには、人間の常識を超えた神のやさしさ、温かさ、あわれみの深さがあります。「あわれみ」とは、命に対するやさしさ、見て見ぬふりができない心をさしています。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第25主日:神の思いは、無条件です。「いいわけ」はありません。

神は限りなく「アナログ」派であるような気がします。細かい配慮、ぬくもり、誠実さをいつも大事にお示しになるからです。デジタル化へ進もうとしているわたしたちは、神の思いと人の思いの差異に悩み、痛感している日々ではないでしょうか。
2014年/A年説教=神のたしかさ

ラテラン教会の献堂:五感を使って祈ることで、信仰を養成しましょう

教皇の司教座聖堂であるラテラン教会の献堂の日に、世界中のカトリック教会はキリストの唯一の教会に結ばれて、清いいけにえを捧げ、豊かな救いの恵みが与えられるように、皆の思いを結集して祈るのです。