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2011年/A年説教=神のみことば

2011年/A年説教=神のみことば

待降節第2主日:悔い改めとは、自分の現実から神の思いに目を転じること

自分たちの生まれ、育ちに向いている現実から、神の思いへと目を転じることを訴えています。神の思いに応える歩みを進めること、このことを強調するために「よい実を結ばない木はみな、切り倒される」と語っているようです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第18主日:イエスなしでは無力であることの自覚を促す

弟子たちが生きる意味を見いだせるのはイエスさまとつながっているときだけです。これを日々、わたしたちも自覚したいものです。それも、通常の生きかたの中で、・・・。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第29主日:わたしの存在すべてが神の恵みであるという自覚を

真の充実した人生はどこにあるのか。自分のすべてが神に起因していることに目覚め、神とのかかわりを生き抜いていくところにあるのではないか、と今日のイエスさまはメッセージを送っています。
2011年/A年説教=神のみことば

王であるキリスト:神の表彰基準は愛の業を生きたかどうか

愛は、人間であれば例外なく一人ひとりの心から出てくるもの、誰でも可能です。才能、能力、学歴にも関係ありません。また、その愛が大きく目立つものでなくても良いのです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第33主日:人の豊かさは周りとの関わりの中で成長する

人から期待され、頼りにされることの喜びがあれば、「わたし」の周囲にいる人にもそれが広まっていきます。人の営みは、実はこうしたかかわりが理想なのではないでしょうか。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第32主日:「未来の現実」にあわせた今を変える勇気が大事

「今」を大事にしすぎるあまり、未来を軽視してしまう生き方には注意しなさいというのが、イエスさまの今日のメッセージのような気がします。当時の結婚式は、夜行われていたそうです。当時は電気はありませんから、どうしても油を使ったともしびが必要でした。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第31主日:人間にエゴがある限り権威は堕落する可能性大

謙虚さ、誠実さ、純粋さが神に向かう生き方の原動力になります。ここに本来の「奉仕」の心があるのではないでしょうか。このような権威を持った人との出会いができることは、なんと幸いなことでしょうか。黙っていても安らぎと充実感を味わえそうです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第30主日:わたしの存在は自分の力ではなく神の恩恵による

神をたいせつにする根拠は、神から受けた「恩義」。イスラエルではファラオの奴隷であった民が、神によってエジプトから導き出されたという事歴史的事実から、神を大切にしなければいけないという結論が出ていました。
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年間第28主日:いい人との関わりを通して大きく成長していきたい

イエスさまを取り巻く人々の存在は、イエスさまにも少なからず刺激をあたえてしまうのです。しかし、地上の現実にのみ心を奪われている人々には、イエスさまのことば、招きが入り込む余地はありません。
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年間第27主日:イエスさまはいつも、援助の手を差し伸べています

日常の生活の中で、出会ってきたイエスさまの言葉、行いの中に、その実、本当の救いへの道筋が示されていたのです。それを発見するのを妨げているものは何でしょうか。自分の心の奥をじっくりと眺めてみましょう。
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年間第26主日:人間には「悔い改める」という行為ができます

悪いと思いなおして態度を改めていくのです。このようなことを何度も体験なさってきたのではないでしょうか。そこに、わたしたちの成長があります。
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年間第25主日:神は人間の常識を超えて「あわれみ深い」

今日のたとえ話の雇い主は神です。そこには、人間の常識を超えた神のやさしさ、温かさ、あわれみの深さがあります。「あわれみ」とは、命に対するやさしさ、見て見ぬふりができない心をさしています。
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年間第24主日:信仰生活と日常生活に遊離はない。日常の行いが大事

今日の福音が強調しているのは「ゆるす」ということです。わたしたちの日々の生活は、このゆるしを前提に織りなされているといっても過言ではありません。それだけに大切な日常の心がまえとなります。
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年間第23主日:過ちを犯す人にできる限りの手助けをしなさい

一人たりとも滅びの道を歩むことは神の望みではないのです。救うことが神の意向であり、イエスさまの道なのです。周囲の人にもいさめにいくことを求めます。あきらめることなく、さらに働きかけていくべきでしょう。
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年間第22主日:人が協力しあうとき必ず誰彼の自己否定を伴う

愛の生き方には必ず苦しみが伴うということです。それをその生き様で示したのが、イエスさまの歩む道だったのです。それが十字架(神の思い)の道でした。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第19主日:人は弱く脆く迷い傷つき易いが、それもよい!

弟子たちもそれこそ、失敗を繰り返しながらも、最期はイエスさまのためにその命をささげるまでにいたったのでした。わたしたちも、どろどろした人生ながらも、迷いをかんじる生き方の中で成長していきましょう。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第20主日:人に対する嘆きはグチだが、神につぶやけば祈り

イエスさまが期待する信仰者は、純粋に救いに飢えている人です。イエスさまは、叫び続ける母親の中に真実の信仰を見いだし「『婦人よ、あなたの信仰はりっぱだ。あなたの望みどおりになれ』。娘はそのときから治った」と。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第16主日:裁きは神の領域、毒麦の話は人を裁くことの危険性

人を批判するよりも、わたしたち一人ひとりがイエスさまとの出会いができるように祈りあい、また、お互いの弱さや過ちを背負いあっていくことができるのが一番です。毒麦の話は、このことを訴えているようです。
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年間第15主日:種は蒔かれた場所によって育ち方が大きく変わる

イエスさま時代のパレスティナでは耕さずにまず種を蒔いていたので、種自体はみな等しい生命力を持っていたはずですが、蒔かれた土地によって生育に大きな違いが出てきます。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第14主日:神から無限に「愛されているわたし」の自覚を

イエスさまとおん父との関係が、すべての人に対する自己開示の力と勇気をいただく根拠があります。神の無限の「招待」に対する返事を、これからの生き方の中で見せていきましょう。