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カトリック教会の日曜日の説教

2014年/A年説教=神のたしかさ

主の昇天:DNAが人の数だけあるようにイエスの恵みも多様

主の昇天(A年)の説教=マタイ28.16~202014年6月1日わたしたちの「DNA」に、同じなものは一つとしてないということが、とても不思議に思います。専門家にとっては当たり前のことでしょうが、・・・。
2014年/A年説教=神のたしかさ

復活節第5主日:「イエスさま的」になることは「一つになる」こと

かつて、イエスさまは祈りました。「どうか、みんなを一つにしてください」(ヨハネ17.21)「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです」(同17.22)と。私たちを「父と子」の交わりの中に入れさせようとする切実な思いが込められています。
2014年/A年説教=神のたしかさ

復活節第6主日:聖霊は謙虚さがあるところにいかんなく働く

聖霊を受ける心構えを整え、それを学びとることは、現代のわたしたち一人ひとり、教会の発展、育ちのためにとても重大な課題。課題は「救いに飢え渇く祈りのこころ」です。
2011年/A年説教=神のみことば

聖霊降臨は神の積極的な関与。イエスが弟子と私たちを再生させる

聖霊降臨の祝日は、神に反する動きを持った人に働きかける神の業であります。神自らがなさる「業」であるだけに、弟子たちを、人々を変えていくことができるのです。
2011年/A年説教=神のみことば

三位一体:神の啓示は、こどものかくれんぼ遊びにヒントがある

わたしたちが信じている神も、自らを自分のほうから示す神です。「啓示」とはまさにそのような意味。示された内容をわたしたちが受け止めることができるかどうか、それが問題です。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第17主日:天国に行った人はいない。だから伝える工夫が大切

わたしたちの周囲にはたくさんの善意にあふれた人々がいます。このようなカトリック信者ではない人も、何かを求めています。本人に、神に向かっているという意識はないにしても、確かに神に向かっているのです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第3主日:イエスの一言は「はい」か「いいえ」を求める

さがしながら待つ必要はなくなったのです。イエスさまのことばに賭けるか賭けないかです。新しい力を受けるか受けないかです。「はい」といって、イエスさまに賭けたいですね。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第6主日:本当に価値あるものは目に見えず気付きにくい

「他言無用」の戒めの裏にあるイエスさまの思いは、人々が目先の「癒やし」というご利益だけを求めてイエスさまのもとに集まってくることを恐れての対応だったのではないかといわれています。
2012年/B年説教=主との出会い

受難の主日:全てが終わると思えた瞬間に新たな始まりが動き出す

人間の常識から見たとき、すべてが終わりと思うその瞬間に、新たな始まりが動き出すのです。ここに神のなさり方があります。日常生活の中で、ちょっと意識してみるといいですね。
2012年/B年説教=主との出会い

主の復活:死は人の最終章だがイエスは常識を超えたところに

人間の常識の世界の中にイエスさまはおられないのです。人間の常識を超えたところにイエスさまは存在されるのです。そうあらしめたのはほかでもないおん父なのです。
2012年/B年説教=主との出会い

復活節第5主日:信仰はイエスに留まってこそ引き継がれる

イエスさまの受難と十字架の死によって、自分たちの弱さが暴露されたことで、使徒たちは信仰に目覚め、イエスさまのところに留まり続けることができたのでした。
2012年/B年説教=主との出会い

主の昇天:周囲の方々の嘆き節に敏感になれる感性を培う

「福音を宣べ伝える」ということは、その人の信念やイデオロギーを伝えるということではなく、「イエスさまご自身」を伝え、イエスさまとの出会いへと人々を招いて行くことです。
2012年/B年説教=主との出会い

キリストの聖体:「わたしは、いつまでもあなたたちとともにいる」

いつまでもわたしたちを内側から支え、助けようとされるのです。弟子たちを通して約束されたことを、果たし、継続されようとなさったのです。それが「聖体」の秘跡です。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第14主日:常識を超えた世界は挑戦してはじめて見える

人々はイエスさまの説教に驚きます。常識を超えた力強さがあふれていたからです。にもかかわらず、自分たちの日常の安定した生活を逃したくない彼らの思いが、イエスさまをがっかりさせます。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第15主日:窮地で「神がどうにかしてくれる」確信を持つ

大事なことは、窮地に立たったとき、「神がどうにかしてくださる」という確信があるか。「満足度」をそこに感じるか。日頃からの訓練が必要です。信仰も鍛錬されなければいけないのです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第16主日:心の「ガソリン・スタンド」に立ち寄りましょう

真の使徒職は、原点がその人個人の喜びにあるのではなく、神の深みに触れるところにあります。何物にも邪魔されないで神との出会いが実現するように、人里離れた所に誘われたのです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第29主日:「無償で他者に仕える」のがイエスの真の弟子

お母さんは子どもに対してごく自然に振る舞います。その行為を惜しいとも損をしているとも思わずむしろ、安らぎとよろこび、躍動感をも感じるといわれます。まったくの無償の愛です。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

復活の主日:復活の核心は苦しみ、悲しみのきわみの果てに

主の復活(C年)の説教=ヨハネ20.1~92013年3月31日   ものごとの変化、成長は、その周囲の環境に影響されていきます。わたしたち人間も例外ではありません。嬉しいことがあれば、それが他者の慶事でも、自分までもが楽しくなってきます。逆...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第3主日:信仰年の今こそ、再三再四繰り返す訓練を

イエスさまのみことばも同じでしょう。つまり、大昔に語られたことば、教えとはいえ、繰返し読みなおし、黙想する度に、イエスさまとそのたびに新たに出会うことができます。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第5主日:信仰は超常識。人間の頑張りには限界がある

「信じること」は、一対一の個人的な呼びかけです。それは、「わたし」が生きる具体的なところにおいてです。家庭であり、職場であり、地域の生きる場です。そこでこそ訓練され、身についていく「賭け」の生き方です。