2015年/B年説教=イエスのこころ 四旬節第1主日:イエスが荒れ野で受けたサタンの誘惑と試練とは? わたしたちも、人として鍛錬され、信仰者としても鍛えられる工夫を見つけ出していく必要があります。日常の、普通の生き方の中でヒントはたくさんあるような気がします。 2015.02.19 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 四旬節第2主日:高い山上でのご変容は、神の思いと人間の思いの交流点 ご変容の目的は、明らかに弟子たちの信仰を固めるためであったのです。同時に、それはイエスさまが、おん父が定めたご自分のこれからの道のりを受け入れる「はい」という返事をくだされた出来事でもありました。 2015.02.26 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 四旬節第3主日:イエスの「神殿を三日で建て直す」が意味するものは? 「建て直す」は、「復活する」とも訳されるようです。そこで、今後は、エルサレムの神殿に替わって、イエスさまの体が神殿になり、ご聖体になってわたしたち一人ひとりの中に入られるということでしょう。つまり、一民族の宗教から脱皮し、世界民族の宗教になっていくことの宣言であるといえないでしょうか。 2015.03.05 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 四旬節第4主日:先に神から愛されているからこそ、安心できるのです イエスさまが要求される「愛を生きる」道は、「神から愛された」自覚と体験が出発になっています。このことは、日常体験からもわかります。愛されている、認められている、相手にされていることがあって、人を愛し、大事にし、人として成長していきます。 2015.03.12 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 四旬節第5主日:イエスさまが伝えようとされたご自分の死の意味とは? それは、一度自分を否定すること、そこに新しい命へと変容していくイエスさま本来の「死」の意味が込められています。つまり、自分の姿(一粒のまま残る)を消していく中に、死んだままでは終わらない復活(豊かな実)の結びがあります。 2015.03.19 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 受難の主日:ローマの百人隊長がこの人は神の子であったと宣言 百人隊長は、苦しみにじっと耐えながら前に進もうとしているイエスさまに、何を見たのでしょうか。何を感じ取ったのでしょうか。イエスさまの外見を見る限り、「神の子」であることを感じさせるものはないのに、・・。 2015.03.26 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 復活節第2主日:人の常識を超えたところに発見される信仰の芽生え トマスという人は、現代的な言い方をしますと、自分に正直な方なんではないかと思います。仲間から「主の復活」の話を聞いても、人間的な常識のなかで判断しています。 2015.04.09 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 復活節第3主日:信仰は神さまのイニシアティブでいただく、恵みです。 今日の福音にあるように、イエスさまにここまでしていただかないと信じられなかった弟子たちの姿に、わたしたちは励まされているように感じます。不信仰者であった弟子たち、逃げ回っていた弟子たちの話は、わたしたちを信仰の道へと後押ししてくれているようです。 2015.04.16 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 復活節第4主日:羊飼いの活動の原点は愛情。損得は問題にしません 「わたしはよい牧者である」とイエスさまがおっしゃるとき、このよい羊飼いの姿をご自分に当てはめておられます。よい牧者としてのイエスさまは、わたしたち人間を限りなく大切にしてくださるということです。 2015.04.23 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 復活節第5主日:人には安心感のある関わり、繋がり、絆が大事 主の十字架の前では、ペトロをはじめとする弟子たちすべてが、自分たちの根源的な弱さを体験することになったのでした。 だから「繋がっていなさい」というイエスさまの言葉は重いのです。 2015.04.30 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 復活節第6主日:神の恩恵によれば「高い理想」も実現できる 聖霊が必ず助けてくださるのです。だから理想は高く持つように、とイエスさまは勧められます。神の恩恵によればできる。この確信をいだき、大事にしましょう。 2015.05.07 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 主の昇天は、イエスさまから「聖霊」へのバトンタッチが実現した日です イエスさまは弟子たちの不信仰をお咎めになりながらも、「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい」とお命じになります。不利な条件、不都合なことがあっても、「前を向きなさい」と励まされるのです。 2015.05.14 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ キリストの聖体:イエスの愛の「ふくらみ」のしるしが聖体の秘跡 人の醜さが頂点に達しようとすればそれだけ、その醜さをつつみこむ愛の極みが膨らんでくるのです。その「ふくらみ」のしるし(形見)がご聖体の秘跡です。しかも、人間一人ひとりの中に飛び込んでいかれます。もろくて醜い、弱いものを身におびていながらも、いや、そのことを知っているからこそ、イエスさまは飛び込んでこられるのです。 2015.06.04 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 三位一体:神の愛の繋がりに参与することが信者の生き方 信者として生きることは、キリスト教的ヒューマニズムを生きることではありません。神の愛の関係に参与することです。そして、イエスさまがわたしたちのためにお祈りくださったように、三位一体の交わりの中で一つになることです。 2015.05.28 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 聖霊降臨:あの使徒団が変わったのは聖霊と出会うことができたから あの使徒団が変わったのは聖霊と出会うことができたからです。それは神の働きであり、その神に出会う道は「祈り」です。しかも、絶望の淵から呼び起された「叫び」だったのです。だからといって、祈れば神の働きがすぐに感じられるかといえば、忍耐強く待たなければいけないかもしれません。 2015.05.21 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 年間第11主日:神との関係を保つこと、その中に「神の国」はある 神とのかかわりを意識できれば、解放も間近であるといえます。わたしたちに大事なことは、信じている神にゆだねることのみです。これまた難しくて、日々葛藤です。 2015.06.11 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 年間第12主日:不安を体験をするたびに、イエスさまに戻りましょう わたしたちは不安を感じると心拍数が多くなり普通でいられなくなります。だからこそ、日々の訓練は大事です。不安を体験をするたびに、イエスさまに戻りましょう。 2015.06.18 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 年間第15主日:弟子たちの役割はイエスさまの「証し人」となること 「派遣される」ということは、イエスさまとともに生活していた中からあふれ出てくることを見せるために、語るために出ていくのです。自分を見せ、伝えるためではないのです。 2015.07.09 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 年間第16主日:大事なことは、神の「お蔭」を感じているか否かです ひとが「有頂天」になるのは、物事の成功の力を自分の力に帰すからでしょう。自分の功績にしたくなるからです。成功が続けば、人は本当の「自分」を見失いがちになるものです。 2015.07.16 2015年/B年説教=イエスのこころ
2015年/B年説教=イエスのこころ 年間第17主日:群衆はイエスさまの「ある不思議な何か」を求めています イエスさまにとって、今日の福音の奇跡は、「しるし」でした。パンをあきるほど食べさせてくれる王ではなく、「永遠のいのちのパン(糧)」であることを示すためのものだったのです。 2015.07.23 2015年/B年説教=イエスのこころ