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年間第13主日:愛の「新しさ」はイエスさまの心を基準とするところにある

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2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

【神のふところは限りなく大きい】

年間第13主日(A年)の説教=マタイ10・37~42

2017年7月2日

みなさんもよくご存知の渡辺和子シスター。ノートルダム清心女子大学の学長、理事長を経て、昨年末にお亡くなりになりました。シスターは生前、長年の修道女としての生活、教育現場から得た、彼女のたくさんの「宝物」を、著作品を通してわたしたちに分かち合ってくれています。

環境の奴隷にならない主体性が優しさを生み出す

「『目には目を、歯には歯を』という仕返しは、強さの表れのようで、必ずしもそうではありません。それは、相手の出方に左右され、支配されている自分の弱さの表れでしかありません。相手のレベルに自分を下げようとしないプライドが、環境の奴隷ではなく、環境の主人であろうとする主体性が、『敵をも愛する』優しさを生み出す源泉なのです」と述べています。(「幸せのありか」PHP文庫)

学園紛争の時代がありました。その頃に卒業した学生に言われた言葉が忘れられないとシスターは言われます。その学生が言った言葉は「シスター、この大学は、愛、ゆるし、平和は教えても、怒ること、不正と戦うことは教えないのですね」と。痛い言葉だったとシスターは言われます。正しく怒ること、不正義には非暴力で立ち向かうことが、混乱した社会に「ともしび」となることがあると思い知らされたといいます。

「損をする勇気」の積み重ねで、自分を自在に操る強さを培う

今の社会でもそうですが、「どうしてわたしがしなければいけないの」と不満を言いたくなることはたくさんあります。シスターは言われます。「損をする勇気が必要なのです」と。こうした思いの日々の積み重ねの中で、「わたしらしさ」が培われていきます。そして、「環境の奴隷ではなく、主人になっていく」ことができるようになります。いわゆる、時と場合に応じて、自分を自在に操る強さです。

これはとりもなおさず、「私流の強さ」となっていくのでしょう。実に、優しさは、こうした「強さ」からしか生まれてこないとシスターは言います。それが、同時に、その人の魅力となっていくのです。

渡辺シスターは付け加えます。「外観からすると、『典型的な今どきの若者』としか思えない学生が、その姿からは想像もしなかった折り目正しい態度を取ったり、細やかな心づかいを見せることがあります。そんな時、外見で人を判断しがちな自分を反省すると同時に、カジュアルさの陰に培われている洗練されたマナーと、若さに似合わない大人度に、目を開かれる思いがするのです」と。つまり、この「意外性」に驚かされ、また、新鮮さに惹かれていくのではないでしょうか。

全ての行動根拠を自分の中だけで見出すことはできない

わたしたちは、年を重ねていきながら、その人の魅力、新鮮さ、強さを備えていくとは言っても、所詮、弱い、もろい存在でしかありません。すべてが思い通りに完璧に進むわけではないのです。無駄な時間、空虚な時を過ごしてしまうことはよくある話です、時には無念を感じたり、時には悔し涙を流したりします。一生懸命前に進もうとしながらも、歩みが重いのです。

信仰者といえども、否、信仰者だからこそ、神に愚痴の一つや二つ言いたくなります。しかし、他人に言うことなく、神に向かって言うところに、信仰者の姿を感じます。シスター渡辺もそうしたそうです。病に罹り、二年間ご苦労したということです。ご自分の経験上、「人生に・・穴があいてはじめて見えるものもあるのです。・・穴があいたことに感謝する日がきっとくる、わたしはそう信じています」と。

「自在に自己を操る」とき、その奥に神の支えがある

要するに、人間の全ての行動根拠は、自分の中に見出すことはできません。究極的には、「神」なのです。「自在に自己を操る」と思っていても、その奥には神がいて、支えてくれています。

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「わたしが愛したように」というイエスさまの言葉は、人が誰かを愛する時に、その愛の確かさと、愛の質の高さを宣言しているのです。別の言い方をしますと、イエスさまの愛の姿が、わたしたち人間の理想として置かれ、基準とされたといえます。それは、イエスさまの心の広さであり、深さ、高さ、豊かさであります。

イエスに生かされてこそ「新しい掟」を会得できる

わたしたちの愛は、得てして、自分の気分に左右され、目先の利益にこだわって、一時的な損得に引きずられていきやすいです。また、相手のことを慮るというより、自分自身に向けられてしまっていることが多いのではないでしょうか。やはり、エゴイズムが潜んでいるような気がします。イエスさまの誠実さ、真剣さ、力強さが、わたしたちの人間関係に生かされてこそ、絶えず「新しい掟」として会得していくことができます。それによって、「わたし」という人間性も高められていきます。

「環境の奴隷でなく、主人になっていく」ことの理想、基準となっているのは、常にイエスさまご自身です。
主よ、わたしたちの信仰を増してください!

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