『年間第33主日』の聖書と説教はこちら

2016年/C年説教=神のぬくもり

2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第20主日:イエスさまの厳しいことば「嘆き節」をやめてもらうには

民衆のイエスさま理解は、どこか地上的過ぎて恣意的なにおいがするものでした。イエスさまを誤解してしまったのです。その結果、即物的な救い、安寧を期待してしまい、誰ひとりイエスさまとともに燃えあがる人が出なかったのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第19主日:神が付加価値を与えて下さる。神に希望をおきなさい。

日常性の中で、いつ、どのようなことで神の関与を感じているでしょうか。神がすべてであるという実感をどのように表現しているのでしょう。それができた時に、確実にイエスさまの、福音の証人となることができるのでしょう。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第18主日:人生の最終目的は、神との直接な出会い(天国)です

天国は、この世の延長上にあります。わたしたち一人ひとりの人生は、隣人(他者)との出会いを通して、神との出会いに向けられています。だから、今の生活で、日々の小さな積み上げを大事にしたいですね。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第17主日:祈る人は「負け組」だと思ったら、それは大きな誤解です

「主の祈り」は神の動きを知らせ、その豊かな愛に自分をゆだねるように、その道を開かせてくれます。自分の限界に目覚め、他者(神)への寄りかかりを尊い、大事なものにしていけますように。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第16主日:神が一番喜ぶことは、愛にあふれたおもてなしです

マルタに愛がなかったということではなく、その愛の心で、マリアの見えない心の世界を、みつめてあげることではなかったのかということでしょうか。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第15主日:お互いが安心でき、やすらぎを得られる関わりを広げたい

日頃は人を感動させる言葉を発していても、愛情がこもっていないと、その感動は打ち上げ花火で終わってしまいます。水の波紋のように広く、あざやかに繋がっていかないのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第14主日:権威をいただいた者の誘惑は、権威の乱用です

派遣される一人ひとりが、人生のさまざまな労苦、重荷を背負いきれないでいる人に共感し、人間が持っている惨めさ、悲惨さに向き合う姿勢を学ぶためにいただく「権威」なのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第13主日:選考・派遣された者として、イエスの道を発見しよう

イエスさまも、天のおん父のみ旨を果たすために「派遣」されたのでした。人間の救いのためです。その任務を拒めば、全人類はいつまでも闇の中にとどまり、とざされたままで放置されてしまいます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第11主日:神の前に「正直になっている自分」がありますか?

イエスさまのわたしたちへの要求はこれだけです。「多くゆるされたから、多く愛していく」本来の生き方を、わたしたちの人生としていきたいものです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第12主日:求められれば己を差し出す心を育てていくように

「自己放棄」「隣人愛」の実践をイエスさまはその生涯の中で展開してきました。使徒たちには、これに倣うようにと言われるのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

キリストの聖体: イエスさまの思いが限りなく込められた秘跡

ご聖体をいただくたびに、わたしたちはイエスさまの十字架の死を告げ知らせることになります。イエスさまからは愛とゆるしのしるしであり、わたしたちにとっては、ゆるしと清めの恵みです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活祭:主の復活は絶望の中に希望を湧きあがらせてくれる

年老いてもなお、周りの人に元気とやる気を与え続けられるひとも、その人なりの「復活」と言えないでしょうか。年齢を重ねて、その年齢にあった魅力を、新たに生み出しているのです。