年間第25主日に関する【記事一覧】はこちら

2016年/C年説教=神のぬくもり

2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第4主日:神の啓示は発展し、信仰も成長していく

今日の善き牧者の話は、語り継がれてきた「メシア、救い」の中身が明らかにされる話です。つまり、父と子の交わりの中にわたしたちを招き入れること、その実現がメシアの役割であり、救いの実現であるといわれます。
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復活節第5主日:隣人愛=イエスの生きざまに繋がることが救いの保証

新しい基準として、イエスさまご自身を示されます。隣人愛、兄弟姉妹愛が、その深さ、豊かさ、持続性においても、その理想とするところはイエスさまの愛し方にあるというのです。
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復活節第6主日:イエスが弟子たちに約束した「わたしの平和」とは

「わたしの平和」とは、何もかもなくなっても、神の手の中にあるから安心なのだ、という平和です。イエスさま流の愛を生き抜くときに、真の平和が実現するのでしょう。
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年間第10主日:イエスさまの奇跡を見て、人々は神をほめたたえた

イエスさまの姿を見て、神が民を訪れてくださったことを理解し、自分たちに喜びを与えてくれる存在であることに目覚めていったのでした。
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三位一体:父と子と聖霊の交わりの輪に私たちも招かれている

私たちが三位一体の神のいわゆる「仲間」となることです。とんでもないことです、と言いたくなりますが、イエスさまの生涯は、まさにこのことのために捧げられたものだったと言えるのではないでしょうか。
2016年/C年説教=神のぬくもり

主の昇天は、イエスが私たちに託された使命に目覚める転機

わたしたちは例外なく、「信仰の目」で見たことを語り継ぐあかし人なのです。そして、お互いの生き方の「転機」となるような存在者になっていきたいです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

聖霊降臨:聖霊が働きやすい環境を自分の中で作っていますか?

どうすればいい環境づくりができるのでしょうか。「無である」こと、ことばを変えれば、神の働きに対して「受身的存在者」になることでしょう。そこには「我(が)」はないのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

王であるキリスト:神のいつくしみはずっと続きます。救いの輪に取り込んでもらいましょう

罪の状態から抜けきれなくて生涯を終えようとしている盗賊たちと、罪を一度も犯すことのなかったイエスさまとの出会い。正反対の生き方をしてきた双方の出会い。この情景の中で言えることは、今のわたしたちに大きな望みを抱かせてくれます。
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年間第33主日:現実の生活の中で、神の保護を実感し、苦しみを超えていけますように!

信仰者であるわたしたちにも、信仰者であるがゆえにイエスさまの歩いた道を生きることになるのです、と宣言なさいます。しかし、「あなたがたの頭から髪の毛一本失われることはない」と、わたしたちへの保護も約束なさいます。
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年間第32主日:大事なことは、「朽ちない」ものを選択できる訓練を重ねること

私たちは目先の幸せ、豊かさに惹かれ、本物を見失う弱さがあります。しかし、その環境の中で、少しずつではあっても、「神に似せて創られた」存在者として、前進できる恵みをもいただいています。
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年間第31主日:ザアカイは一夜で変わった!琴線に触れる言動には大きな力がある。

人の心の琴線に触れることの体験は、その人を新たな自分に気付かせる力を持っています。今日のザアカイはまさにそうした状況にあるのでしょう。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します」と、ザアカイに決断させるほどのエネルギーです。
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年間第30主日:神の心に触れる祈りが、神のあわれみを引き寄せます

【祈りのポイント】育ちや経歴の良さには関係なく、神の心に触れる祈りができるかできないかが、神のあわれみを引き寄せる分かれ道となりそうです。神のあわれみにまっすぐに響く祈りは、・・・?!
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年間第29主日:神により頼む人の祈りと態度は、必ず神の心に響き伝わる

神は何も聞き入れてくれないではないか、と思える時でも、わたしたちの助けを求める声は、神の心に響いているのです。神の沈黙は、わたしたちにはわからない神の計画があるからです。
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年間第28主日:イエスは重い皮膚病患者の「かぎりの叫び」を聞き届けた

重い皮膚病で人からは敬遠されて相手にされない中で生きざるを得ない人が民衆の前に出ることが、いかに勇気のいることか。声をかぎりに遠くからイエスさまに呼びかけるしかできなかったのです。イエスさまはその人の「かぎりの叫び」を聞かれます。
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年間第27主日:「神の子」という自分の名前に誇りがありますか?

日本人は律義であると言われます。特に、人の名前に関してはとても敏感な反応を示すようです。ところが、名前は名前でも、日常、わたしたち自身、あまり気にしないで使っている名前があるようです。「日本」国名は「にっぽん」ですか、「にほん」でしょうか。実際にはあまり気にしてないですよね。どのような使い分けをしているのか、自分でもはっきりしませんが。
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年間第26主日:周囲に「ラザロ」はいませんか。ラザロに出会った時どうしますか?

教会は「今」を大事にするように言います。それは、今の生き方のその先に、来るべき世の生き方への繋がりがあるからです。したがって、この世でどのように生きるかがいつも問われ続けます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第25主日:人が追い詰められたときの着眼点は「抜け目なさ」です

イエスさまの話に留まりながら、じっくりとみことばを読み込んでいきますと、イエスさまは不正な管理人のやったことの真似をしなさい、と言うよりは、彼の「抜け目なさ」をほめ、不正な富で友をつくりなさいと言われています。「不正な富」とは不当なやり方で得た富というよりも、天の国に対して「この世の富」の意味合いと考えた方がいいでしょう。
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年間第24主日:いつくしみの神は「落伍者」がでることを望まない。

今日の福音に登場する話、迷った子羊、銀貨を失った婦人、放蕩息子の話に共通することといえば、「いつくしみの神」が描かれていることです。失ったものを捜しあてた時の喜びは何とも言えない安堵感を与えてくれます。イエスさまもそのような温かい心でわたしたちに迫ってこられるのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第23主日:現世的なことに囚われ、確かな価値を見失わないように!

今日のイエスさまの弟子たるもののきびしい条件は、現世的な利益と安寧を求める時代背景の中で語られたものです。わたしたちも現世的な価値観にとらわれ、目先の幸せや利益に目がくらむことはよくあります。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第22主日:すべてを先に、神が無償で配慮して下さっています

オリンピックに参加できた選手、観衆の皆さんは、自分の能力と謙虚さと新しい自分を発見する尊い場をいただいたのではないでしょうか。「自らへりくだる者」、自分を発見したいものです。
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