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2015年/B年説教=イエスのこころ

2015年/B年説教=イエスのこころ

復活節第3主日:信仰は神さまのイニシアティブでいただく、恵みです。

今日の福音にあるように、イエスさまにここまでしていただかないと信じられなかった弟子たちの姿に、わたしたちは励まされているように感じます。不信仰者であった弟子たち、逃げ回っていた弟子たちの話は、わたしたちを信仰の道へと後押ししてくれているようです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活節第4主日:羊飼いの活動の原点は愛情。損得は問題にしません

「わたしはよい牧者である」とイエスさまがおっしゃるとき、このよい羊飼いの姿をご自分に当てはめておられます。よい牧者としてのイエスさまは、わたしたち人間を限りなく大切にしてくださるということです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活節第5主日:人には安心感のある関わり、繋がり、絆が大事

主の十字架の前では、ペトロをはじめとする弟子たちすべてが、自分たちの根源的な弱さを体験することになったのでした。 だから「繋がっていなさい」というイエスさまの言葉は重いのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活節第6主日:神の恩恵によれば「高い理想」も実現できる

聖霊が必ず助けてくださるのです。だから理想は高く持つように、とイエスさまは勧められます。神の恩恵によればできる。この確信をいだき、大事にしましょう。
2015年/B年説教=イエスのこころ

主の昇天は、イエスさまから「聖霊」へのバトンタッチが実現した日です

イエスさまは弟子たちの不信仰をお咎めになりながらも、「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい」とお命じになります。不利な条件、不都合なことがあっても、「前を向きなさい」と励まされるのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

キリストの聖体:イエスの愛の「ふくらみ」のしるしが聖体の秘跡

人の醜さが頂点に達しようとすればそれだけ、その醜さをつつみこむ愛の極みが膨らんでくるのです。その「ふくらみ」のしるし(形見)がご聖体の秘跡です。しかも、人間一人ひとりの中に飛び込んでいかれます。もろくて醜い、弱いものを身におびていながらも、いや、そのことを知っているからこそ、イエスさまは飛び込んでこられるのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

三位一体:神の愛の繋がりに参与することが信者の生き方

信者として生きることは、キリスト教的ヒューマニズムを生きることではありません。神の愛の関係に参与することです。そして、イエスさまがわたしたちのためにお祈りくださったように、三位一体の交わりの中で一つになることです。
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聖霊降臨:あの使徒団が変わったのは聖霊と出会うことができたから

あの使徒団が変わったのは聖霊と出会うことができたからです。それは神の働きであり、その神に出会う道は「祈り」です。しかも、絶望の淵から呼び起された「叫び」だったのです。だからといって、祈れば神の働きがすぐに感じられるかといえば、忍耐強く待たなければいけないかもしれません。
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年間第11主日:神との関係を保つこと、その中に「神の国」はある

神とのかかわりを意識できれば、解放も間近であるといえます。わたしたちに大事なことは、信じている神にゆだねることのみです。これまた難しくて、日々葛藤です。
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年間第12主日:不安を体験をするたびに、イエスさまに戻りましょう

わたしたちは不安を感じると心拍数が多くなり普通でいられなくなります。だからこそ、日々の訓練は大事です。不安を体験をするたびに、イエスさまに戻りましょう。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第15主日:弟子たちの役割はイエスさまの「証し人」となること

「派遣される」ということは、イエスさまとともに生活していた中からあふれ出てくることを見せるために、語るために出ていくのです。自分を見せ、伝えるためではないのです。
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年間第16主日:大事なことは、神の「お蔭」を感じているか否かです

ひとが「有頂天」になるのは、物事の成功の力を自分の力に帰すからでしょう。自分の功績にしたくなるからです。成功が続けば、人は本当の「自分」を見失いがちになるものです。
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年間第17主日:群衆はイエスさまの「ある不思議な何か」を求めています

イエスさまにとって、今日の福音の奇跡は、「しるし」でした。パンをあきるほど食べさせてくれる王ではなく、「永遠のいのちのパン(糧)」であることを示すためのものだったのです。
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年間第18主日:「わたしが命のパンである」=ご聖体の信仰の中心です

わたしたちはご聖体に生かされているのです。わたしたちの日常は、信仰者として道徳を実践することだけにあるのではなく、ご聖体を大事にする心をいつも認識しておく必要があります。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第19主日:常識の世界にとどまり続けると、信じることは難しい

イエスさまは、決して強制的に引き寄せることはなさいません。イエスさまの話は「むずかしい」だけで終わるのではなく、自分はどうありたいのかを熟考するに値する時です。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第20主日:わたしたちのご聖体に対するイメージはどんなもの?

「イエスの肉を食べる」「血を飲む」という表現の中には、わたしたちの救いのために十字架上で殺されるという神秘が前提されています。ご聖体を拝領する時に、この神秘を受けとめ、「わたし」をそれに重ねていく決意が求められてきます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第21主日:神を信じて生きると、人はもっと豊かに魅力的になる

「信じる」ということは、まさに、その人に向かうことであり、その人を見つめ、その人にゆだねることなのです。論理的にわかりにくいことがあっても、その人を信じているがゆえに受け入れていくことができます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第22主日:恵みは外見にではなく、人の変わらない内の姿に注がれる

イエスさまは言われます。「あなたがたは神の掟をなおざりにし、人の言い伝えを固く守っている」と。そういうかたわらで、イエスさまの弟子たちが手を洗わないで食事するのを見て、つまずくのです。そして、今の社会でも、教会の中に「変な人」がいるのに驚き、つまずくのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第23主日:イエスさまは神の国を運んでいる方というメッセージ

見えない目が開き、聞こえない耳が聞こえるようになる、こういった体の癒しは、その人にとって人生の生き方に大きく影響してきます。そこからもわかるように、身体の癒しは、深い内面の癒しでもあるのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第24主日:あなたはイエスさまが気になっていますか!?

わたしたちにとって、いい人としての「気になる人」については、もっと正確に知りたくなるものではないでしょうか。「悪い人として」気になる人って、はたしているのでしょうか。