『四旬節第4主日(A年)』の聖書と説教はこちら

日曜日の聖書

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四旬節第5主日:一粒の麦が地に落ちて死ぬことによって多くの実を結ぶ

四旬節第5主日(B年)の聖書=ヨハネ12・20~33 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。
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四旬節第4主日:神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された

四旬節第4主日(B年)の聖書=ヨハネ3・14~21 〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕 「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
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主の変容:これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け

主の変容(A年)の福音=マタイ17・1~9 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
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三位一体:神が御子を世に遣わされたのは、御子によって世が救われるためである

三位一体の主日(A年)の福音(ヨハネ3・16~18)神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
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受難の主日:百人隊長や見張りの人たちは「本当に、この人は神の子だった」と言った

受難の主日/枝の主日(A年)の聖書=マタイ27・11~54 イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
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四旬節第5主日:わたしは復活、命である。信じる者は、死んでも生きる。

四旬節第5主日(A年)の福音=ヨハネ11・1~45 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
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神の母聖マリア:羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた

神の母聖マリアの福音=ルカ2・16~21 〔そのとき、羊飼いたちは、〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
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聖金曜日:イエスは、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19・30)

主の受難の福音(ヨハネによる主イエス・キリストの受難=ヨハネ18・1~19・42)夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。
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聖木曜日:イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた(ヨハネ13・1)

主の晩餐の夕べの聖書(ヨハネ13・1~5)過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。
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聖木曜日「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4・21)

聖香油のミサの福音=ルカ4・16~21〔そのとき、〕イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。