「カトリック教会の日曜日の説教」の記事一覧

年間第3主日:イエスさま流とは?より貧しいところ、皆から見放されたところに行こうとする神の姿勢

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

ガリラヤに行かれたということは、より貧しいところ、皆から見放されたところに行こうとする神のなさり方が満ち溢れています。これがおん父から遣わされた「イエスさま流」なのです。イエスさま流は、無駄のない、美しい、現実的なありかたなのに、イエスさま流の原型を壊してしまい、人間流にすり替えてしまっていくのがわたしたちです。

年間第2主日:本当の救いを求めて燃えていることを目指しましょう。

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

洗礼者ヨハネの弟子たちにとって、イエスさまとの出会いは恵みでした。それは、ヨハネとの出会いの時に決定づけられていたということができるでしょう。つまり、ヨハネが持っていた神への情熱にふれたときに、彼らはすでに、イエスさまへ方向づけられていたといえるのではないでしょうか。

主の公現:人はゆるされることによって心身の健康を知り、健康な状態を維持していく

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

東方からの賢者たちは、何にも邪魔されない絶対的な安らぎを幼子イエスに感じ取っていたのではないでしょうか。周囲をはばかることなく、しかも、それまでの自分たちの仕事道具までもすべて奉献する行動に出ています。「安心した心」の状態を示している証でもあります。

神の母聖マリア:親子のかかわりを振り返り、「安心感」を提供しあえる家族を目指したい

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

この一年を、神の母マリアの執り成しと保護に委ねようという思いを強くしてスタートしたいものです。母としてのマリアさまの姿は、多くを語らず、お告げの時に、すでに受け入れていた「未知の歩み」にとても配慮なさっているように思えます。

主の降誕:親と子の宝物に注目!クリスマスはヨセフとマリアの宝物にも気づく日です

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

ヨセフとマリアの生き方は、イエスさまの救いの業の実現という形を変えた生き方となって花開いたのです。飼い葉おけの幼子の中にその力と愛のやさしさを見つけ、もっとイエスさまに引き寄せていただきたいです。

待降節第4主日:キリスト誕生はもうすぐ!神との身近な出会いを見つけましょう。

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

旧約時代の義人は聖なる神の前では畏れおののきます。その義人ヨセフが、子どもが急に何かに目覚めたような成長をするように、目覚め、神のあわれみ、愛が具体的にあらわれる瞬間(イエス誕生)に立ち会うことになります。

待降節第2主日:洗礼者ヨハネの宣教は、今の時代に合った信仰の土台を築くよう促しています

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

通常「待つ」ということは、何もしないで待つのではなく、期待しながら、ワクワク感をもって待つことが多いのではないでしょうか。だから待てるのです。「天の国が近づいた」とヨハネは叫びます。つまり「救い主が来られる」と言われ続けながらも、なかなか実現しない歴史を体験してきたイスラエルの人びと。しかし、それでも彼らは絶望しないのです。

待降節第1主日:救いは神からの一方的な業!とはいえ、人間側の備えが必要です。

2017年/A年説教=神のふところ
2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

待降節は何を待ち、準備するのでしょうか。今日のみ言葉は「神はすべての民を永遠の平和に招かれる」「救いは近づいている」「目を覚まして用意していなさい」と、わたしたちに語りかけます。つまり、やがて訪れる「救いの時」を語っています。それがいつ来るのか、誰もはかり知ることはできません。

王であるキリスト:神のいつくしみはずっと続きます。救いの輪に取り込んでもらいましょう

2016年/C年説教=神のぬくもり
2016年Fr.YASUアイキャッチ

罪の状態から抜けきれなくて生涯を終えようとしている盗賊たちと、罪を一度も犯すことのなかったイエスさまとの出会い。正反対の生き方をしてきた双方の出会い。この情景の中で言えることは、今のわたしたちに大きな望みを抱かせてくれます。

年間第33主日:現実の生活の中で、神の保護を実感し、苦しみを超えていけますように!

2016年/C年説教=神のぬくもり
2016年Fr.YASUアイキャッチ

信仰者であるわたしたちにも、信仰者であるがゆえにイエスさまの歩いた道を生きることになるのです、と宣言なさいます。しかし、「あなたがたの頭から髪の毛一本失われることはない」と、わたしたちへの保護も約束なさいます。

年間第31主日:ザアカイは一夜で変わった!琴線に触れる言動には大きな力がある。

2016年/C年説教=神のぬくもり
2016年Fr.YASUアイキャッチ

人の心の琴線に触れることの体験は、その人を新たな自分に気付かせる力を持っています。今日のザアカイはまさにそうした状況にあるのでしょう。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します」と、ザアカイに決断させるほどのエネルギーです。

年間第28主日:イエスは重い皮膚病患者の「かぎりの叫び」を聞き届けた

2016年/C年説教=神のぬくもり
2016年Fr.YASUアイキャッチ

重い皮膚病で人からは敬遠されて相手にされない中で生きざるを得ない人が民衆の前に出ることが、いかに勇気のいることか。声をかぎりに遠くからイエスさまに呼びかけるしかできなかったのです。イエスさまはその人の「かぎりの叫び」を聞かれます。

年間第27主日:「神の子」という自分の名前に誇りがありますか?

2016年/C年説教=神のぬくもり
2016年Fr.YASUアイキャッチ

日本人は律義であると言われます。特に、人の名前に関してはとても敏感な反応を示すようです。ところが、名前は名前でも、日常、わたしたち自身、あまり気にしないで使っている名前があるようです。「日本」国名は「にっぽん」ですか、「にほん」でしょうか。実際にはあまり気にしてないですよね。どのような使い分けをしているのか、自分でもはっきりしませんが。

年間第25主日:人が追い詰められたときの着眼点は「抜け目なさ」です

2016年/C年説教=神のぬくもり
2016年Fr.YASUアイキャッチ

イエスさまの話に留まりながら、じっくりとみことばを読み込んでいきますと、イエスさまは不正な管理人のやったことの真似をしなさい、と言うよりは、彼の「抜け目なさ」をほめ、不正な富で友をつくりなさいと言われています。「不正な富」とは不当なやり方で得た富というよりも、天の国に対して「この世の富」の意味合いと考えた方がいいでしょう。

年間第24主日:いつくしみの神は「落伍者」がでることを望まない。

2016年/C年説教=神のぬくもり
2016年Fr.YASUアイキャッチ

今日の福音に登場する話、迷った子羊、銀貨を失った婦人、放蕩息子の話に共通することといえば、「いつくしみの神」が描かれていることです。失ったものを捜しあてた時の喜びは何とも言えない安堵感を与えてくれます。イエスさまもそのような温かい心でわたしたちに迫ってこられるのです。

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