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2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

カトリック典礼暦・2026年(2025年11月~2026年11月)は、主にマタイ福音書が朗読されるC年。

聖書によれば、人は皆、罪深い存在です。
人間は誰も、罪を完全に避けることはできないし、罪が引き起こす不幸な結果から免れることもできません。罪は、わたしたちを神様とその神聖さから引き離してしまいます。罪のもたらす最悪の結果は死であり、神様との永遠の別離です。
人間は神様の御前で自分の罪やその不幸な結果を自分の力では帳消しにできません。
私たちを救うことができるのは、イエス・キリストだけです。

このような存在のわたしたちですが、それでも、神はわたしたち一人ひとりの傍に近寄っては語り掛け、「わたし」の生きるべき道をそっと示してくださいます。罪人であるがゆえに、神はわたしたちをさがしておられるのです。
罪人を「取り戻すために」です。

2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

待降節第1主日:「待つ」ことの大切さ、重さをしっかりと学びたい

わたしたちは何をするかといえば、じっとその時を「待つ」ことです。これが待降節を過ごす課題ともいえるものです。別の言い方をすれば、キリストの降誕を祝う者は、キリストの再臨を待ち望みながら生きてゆきます。
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