『主の洗礼(A年)』の聖書と説教はこちら

2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

カトリック典礼暦・2026年(2025年11月~2026年11月)は、主にマタイ福音書が朗読されるC年。

聖書によれば、人は皆、罪深い存在です。
人間は誰も、罪を完全に避けることはできないし、罪が引き起こす不幸な結果から免れることもできません。罪は、わたしたちを神様とその神聖さから引き離してしまいます。罪のもたらす最悪の結果は死であり、神様との永遠の別離です。
人間は神様の御前で自分の罪やその不幸な結果を自分の力では帳消しにできません。
私たちを救うことができるのは、イエス・キリストだけです。

このような存在のわたしたちですが、それでも、神はわたしたち一人ひとりの傍に近寄っては語り掛け、「わたし」の生きるべき道をそっと示してくださいます。罪人であるがゆえに、神はわたしたちをさがしておられるのです。
罪人を「取り戻すために」です。

2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

主の洗礼:イエスは”民の一人として”、神への「義」を示された

今日の福音で、「我々にふさわしいことです」という言葉の「我々」とはだれを指すのか。イエスがヨハネのところにやってきたのは、「彼から洗礼を受けるため」であり、人々も同じ理由から集まってきています。イエスも民の一人としてヨハネの前に現れたといえます。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

待降節第4主日:

待降節第4主日(A年)の福音=マタイ1・18~242025年12月21日.先週に続き今回までお休みをいただきます。待降節第4主日【12月21日】の聖書はこちら
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

待降節第3主日:

待降節第3主日(A年)の説教=マタイ11・2~112025年12月14日都合により今週はお休みです。待降節第3主日【12月14日】の聖書はこちら
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

待降節第2主日:望みのないとき、ところにも一すじの希望が…

人間の世界では、備えが完璧、十分であるということはないでしょうが、神の前では、神ご自身が十分に備えてくださいます。身を任せることの重要さ、そして、ありがたさを分かればこの上ないですね。
2026年/A年説教=神は罪びとに道を示される

待降節第1主日:「待つ」ことの大切さ、重さをしっかりと学びたい

わたしたちは何をするかといえば、じっとその時を「待つ」ことです。これが待降節を過ごす課題ともいえるものです。別の言い方をすれば、キリストの降誕を祝う者は、キリストの再臨を待ち望みながら生きてゆきます。
タイトルとURLをコピーしました