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年間第4主日:「わたしの兄弟、姉妹、母です」と言える間柄を広く築きたい

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年間第4主日(C年)の説教

2022年(C年)説教の年間テーマ=「弱き者を救う神」

年間第4主日(C年)の聖書=ルカ4・21~30

2022年1月30日

「三蜜回避」の長期化で孤独に陥る高齢者も

複数年に及ぶ新型コロナウイルス感染の影響は、いろんなところに出てきています。わたしにとって一番大きいのは、「三密の回避」であり、その結果、「人をも避ける」ことに、わたしたちが「慣れてしまった」ことではないかと感じております。

このことを強く感じるのが「老人ホーム」に入居しているご年配の方々に対してです。というのは、自由に動くことがままならないと、ますます寡黙になっていきます。声を発すること、話し相手がいる、いないということが、どれだけその人に影響を与えるのか、経験上、納得される方も多いのではないかと思います。

先日あるご年配の方を訪問した時に、切実にこのことを感じたのです。その方の若くて元気なころを知っているだけに、その落差の大きいことに驚きました。何も語らないときの顔の表情がまるで生気がないというか、生き生きさを感じないのです。肌そのものがどうのこうのということではありません。表情が醸し出す、まさに、何かを語りかけようとする、迫ってくる雰囲気がないのです。この方は施設に入ってはいないのですが、ひとり住まいです。それこそ「人流」がないと生気までもが失せてしまうんですね。

日常の困りごとを少額で支援する高齢者組織

他方で、さつま町永野には元気な「お年寄り組」がいます。「高齢者有志がお助け隊-支え合いの輪広げたい-」が発足したそうです。

この組織は、高齢者有志が、暮らしの困りごとを支援し合う組織であると言います。その名は「永野・サンスマイルクラブお助け隊」といい、去る17日に永野交流館に約40人が集まり、発足を祝いました。(南日本新聞2022年1月24日朝刊)

隊員のみなさんは、永野交流館で週一回開かれている「ころばん体操」の参加者が中心となっています。体操を主催する住民団体の代表も務める木下敬子さん(73歳)が「車がなくて買い物に行けない」「草刈りができない」などの相談を受けて企画したと話します。永野地区の住民760人のうち406人が65歳以上で、高齢化率は5割を超えています。「活動を継続させるとともに気兼ねなく利用してもらうため」として30分200円に値段を設定し、対象とする作業も電球交換や布団干し、話し相手など隊員の負担が重くならない内容に限定しています。

過疎化とともに住民同士の助け合いが重要化

木下さんは話しています。「過疎化が進む中、これからは今以上に住民同士の助け合いが必要となってくる。行政の支援ももらいながら取り組みを地域に根づかせていきたい」と。

わたしたち人間社会では、お互いが繋がりをつくり、ある時はそれに頼り、ある時は手を貸しながら、自らのいのちを鼓舞してきましたし、これからも同じでしょう。

さて、わたしたち人間が一つになり、仲間として助け合って生きていこうとする意識が生まれてくる土壌、土台は果たして何でしょうか。普通に考えますと、同じ国、同じ町、同じふる里を持っていることから生じてくる連帯感が、自覚がそれにあたるのではないでしょうか。さらに身近になると、地縁、血縁が加わり、より固い絆が形成されていきます。先祖代々から受け継いできた家風、地域の慣習等の中で、お互いくつろぎのひと時を共有し、ある決まった場所に行っては、語り合う楽しさも共有します。今でも、地方の町、集落に行くとくつろいでいる老夫婦、ご年配の方々の集まっている情景を目にすることがあります。

今日の福音書のイエスは、そうした「わがふるさと」に帰還したのです。ところが、イエスの周りの状況は、「村八分的な」異質なものがあったといえます。どうしても、地元の人々には受け入れてもらえなかったのです。なぜでしょうか。村人たちはイエスの中に、自分たちが生きてきた世界とかなり違ったものを感じ取っていたのでしょう。このようなことってわたしたちにも経験があるのではないでしょうか。空気というか、雰囲気というか、ぎくしゃくとした、気持ちがかみ合わない「場」がありますよね。

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イエスと村人たちとのかみ合いの悪さもこのあたりのような気がします。この世に生きているわたしたちにとって、身近な「人」にはどうしても最大の配慮をいたします。人中心の対応に終始するのが普通でしょう。その方々との縁を切ってまでも、他に走ることはしないでしょう。よほどのことがない限り、・・。

イエスが教える”血縁を超えた新しい繋がり”

イエスはかつておっしゃいました。次の場面があります。

「ある人がイエスに、『御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます』と言った。しかし、イエスはその人にお答えになった。『わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。』 そして、弟子たちの方を指して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。』」(マタイ12章47~50節)

イエスは、ふるさとに戻り、村人たちに新しい繋がりへの転換を迫ったのでした。どうしても人間の世界では否定されるであろう価値観です。人同士のつながりは大事です。人間として、成長の基本であり、より人間らしくなっていきます。しかし、それだけでは人としてのエゴイズムが頭をもたげ、生きる幅が狭いままで終わってしまいます。

さつま町の「永野・サンスマイルクラブお助け隊」は、自らを捨てる覚悟で助け合って生きようとするものです。その裏では、密かに神のバックアップがあっていることでしょう。見えない絆を「見える化」していくところに、「お助け隊」の役割・使命があるのかもしれませんね。

日常を通して語りかけるイエスにの声に敏感になりましょう。「わたしの兄弟、姉妹、また母です」と言える間柄を、幅広く、深く、高く築きたいです。

 

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