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年間第4主日:権威ある教えは人の心に響く。豊かに学び実践したい

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年間第4主日(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

年間第4主日(B年)の説教=マルコ1・21~28

2021年1月31日

どの国、地域にあっても、その土地特有の色合いというものがあります。お祭り、慣習、人柄等、その土地ならではの風情が感じられ、独特の味わいを醸し出しています。

鹿児島特有の郷中(ごじゅう)教育から

「負けるな」「うそをつくな」「弱いものをいじめるな」。これらは、鹿児島の郷中教育(ごじゅうきょういく)の教えで、人として生きていくために最も必要なこととして教えられていました。(南日本新聞2021年1月26日朝刊)

郷中とは「方限」(ほうぎり)と呼ばれる区割りを単位とする自治組織のことで、今でいえば町内会単位の自治組織のことです。郷中では青少年を「稚児」と「二才」(にせ)に分け、先輩が勉学や武芸、山坂達者(今でいう体育、スポーツ)などを後輩に指導し、強い武士をつくっていました。

「この教えは、わたしたち鹿児島の先人から引き継がれてきたもので、今でも子どもたちに教えられています」と語るのは、ファミリーホーム冨永さんち代表冨永正輝さん(56歳)です。そして、「自分に負けるな」「うそをつくな」「弱いものをいじめるな」と、ホームで最初に子どもたちとの約束として伝えているのだそうです。さらに続けます。「今でも通じる教育の模範となるものが、郷中教育の中にあるのではないでしょうか。せっかく郷土にこのような立派な教えがあるので、時には見直し、学んでみても良いのかもしれません」と。

さらに、おっしゃいます。「しかし、この教えをわたしたち大人は守れているのでしょうか。・・・わたしたち大人が子どもたちに誇れるような大人でなければ、子どもたちに偉そうなことは言えません。まずは大人が日ごろの行いを正していく必要があると思います」。

全国の学校には「二宮金次郎」の銅像が

今思いますと、かつて、わたしの小学校の校庭の正門横に、二宮金次郎の銅像があったのを記憶しています。当時の先生方は、歴史上の賢者の話をしながら、その生き方、考え方を、その時代の子どもたちの生き方の指標にするようにとの思いがあったのでしょうか、金次郎のはなしをされたのではないか、・・と。一般によく知られている話が、二宮金次郎は薪を町へ売りに行く道中で、薪を背負って歩きながらも本を読んで勉強したということです。その姿の銅像であったと思います。

今では、先生方一人ひとりの生き方の中に、自分が子どもたちに話している人生訓を、自らの日常生活の中で、生きぬいているのかどうかが問われます。その時に大事になってくるのが、幼少のころのその人の育ちはどうであったか、ということではないかと思うんです。つまり、親子関係、兄弟関係の中で、どのような体験があり、何をどう聞き、見て育ったのかということではないか、と。

無名の青年が「権威ある者」として公に

今日の福音書では、イエスが初めて公の場、公の民衆の前に登場します。それまでは、ナザレの小さな村で家族とともにひっそりと、社会の目からは隠れた存在者でした。ごく普通の無名な一青年でした。平凡で普通の人に見えるイエスに、特別な、神秘的な何かが生きているなんて分かりもしません。

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しかし、その語りに人々は驚き、圧倒されるのです。「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」とマルコは記しています。人々にしても、初めて出会うイエスです。その初対面の人々の感動を「権威ある者」「権威ある教え」として表現しています。言い方を変えれば、伝えるべき中身が十分にあるということになります。人々が「権威ある」ということを感じているということは、人の心に素直に入ってきて、心にひびく中身であったということを表しています。

誠実な歩みが「権威ある」教えに繋がる

それらの土台となるのが、幼少期の過ごし方ではないかと思うのです。人として歴史の積み重ね、誠実な生き方、歩みから生み出された知恵こそ、「権威ある」「深みある」教えにつながります。イエスはそうした幼少期をマリアとヨゼフとともに過ごされたのです。いうまでもなく、マリアとヨゼフの生き方そのものが、まずもって中身のある生き方をしてきたのであり、その生命をイエスに見せることができたのです。

当然のように、イエスの語りの中に偽り、ごまかしなどがあるはずもありません。また、人間的なはったり、見栄、そして、その主張には誇張もないのです。人々はそのようなものを感じるよりも、その言葉や動き、作法に、イエスの心からのあふれ、心の深みから出てくる純粋さを感じ取り、「権威ある」教えを見出したのでした。そして、その受け止めは神の子の神秘へとつながっていったのです。

人目につかない隠れたところ(幼児期、子ども期)で受けたものは、いつしか他者のために生かされる時が来ます。その結果、自分のために倍になって戻ってきます。それゆえに、「権威ある教え」に満ちあふれている、生きることの確かさに心を向け、わたしたち人生のための知恵として、さらに豊かに学び取りたいものです。

そして、他の必要としている人へ伝え、与えていくためにも、自分がこれまで受けてきたものを、さらに増し、豊かに育てていきましょう。

「罪の数々がわたしを圧倒します。背いたわたしたちを あなたは贖ってくださいます。いかに幸いなことでしょう あなたに選ばれ、近づけられ あなたの庭に宿る人は。 恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によって わたしたちが満ち足りますように。」(詩編65の5~6)

 

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