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Fr.YASU

2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活節第5主日:今の時代だからこそ必要とされる愛、その愛の根拠はどこに?

イエスがおっしゃる「あなたがたを愛したように」という「ように」は、愛の程度を示しているのではなく、愛の根拠を表しています。したがって、イエスの愛に目を向ける時、どこを見ればいいのか。それは十字架です。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活節第4主日:自分が置かれた立場でそれぞれ「和」の関りを

羊は羊飼いによって守られ、導かれなければ、生きていくことができない動物です。羊飼いの思いが、羊たちに通じるのは、羊飼いが羊のことを一頭一頭の個性までも知り抜いているから。羊飼いと羊の関係は、イエスとわたしたちの関係と同じです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活節第3主日:経済あっての生活とはいえ、日々の活動力の源泉は?

今日の福音書でイエスは、ペトロに自分の過ちに正面から向き合うように促しています。一人ひとり自分の弱さ、過ちに向き合い、そんな自分ををゆるしてくださるイエスを見つめ、委ねましょう。人には経済的な力だけでなく、その奥に横たわる「力の源泉」が必要です。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活の主日:イエスは、今なお、この瞬間の「わたし」の傍におられる

過去の悲しみにつつまれた闇の心を喜びに変え、絶望に満ちた心を希望で満たし、生きる力をわたしたちの心にみなぎらせるのがキリストの復活です。希望に反する状況にあってもなお、希望し続ける勇気、元気を与えくれるのが復活の信仰です。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

受難の主日:いかなる時にも動揺しないイエスに、訴えましょう、甘えましょう

福音記者ルカはわたしたちに、人間の暴力にも憎しみにも、愛の心をもってこたえるイエスの中にこそ、平和の原点があるということを訴えているようです。だから、イエスに向かう、祈る価値があるのです。イエスにすがりましょう。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

四旬節第5主日:人に石を投げる代わりに、恵みを注ぎ続ける神に向かおう

イエスの言葉は、安易に裁きたくなる人びとに、自分の現実に目を向けてみなさいと促しています。人が裁こうとしている人を神はそっと支え、救おうと働きかけているのです。神は、人間のすべてを知りつつ、石を投げる代わりにゆるしの恵みを注ぎ続けておられます。今も、これからも。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

四旬節第4主日:何のために働くのか、その根源的意義を問い直してみたい

今日の福音書の話はその後、どう展開されていったかは記されていませんが、想像するに、弟は、父親とも兄とも真っ当な交わりを作り上げ、大いに人生を、楽しく謳歌したとむすばれていくのではないでしょうか。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

四旬節第3主日:神は、「わたし」の協働を不安と期待の中で待ち続ける

わたしたちが通常、祈り、願う時、その実、何をどうしてほしいというのでしょうか。もしかしたら・・・不幸な事件を噂するとき、知らず知らずのうちに事件に遭遇した人々の罪に目を向けていませんか?今日の福音書では、まさにこのことが指摘されています。
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四旬節第2主日:自己環境に注目!その中で「わたし好み」の時、場所とは

社会の喧騒から離れることは、心も体も現実との関係を断ち、ゆっくりと自分の好きなことに集中できるということでもあるでしょう。それが、イエスの場合は神に祈ることだったのです。自分好みの時、場所、過ごし方を意識してみること、大事かもしれませんね。
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四旬節第1主日:人に欲ある限り誘惑はつきもの。その誘惑を克服するには?

イエスは誘惑を受けた際に、どのように対処したらよいのかを、わたしたちに示されています。何をするにも、イエスの思い、心は神の意思に向いたままです。そして、神の意思を知る最良の道、それが聖書に聞くことでした。聖書の言葉を思い出すことだったのです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第8主日:目の中の丸太=人の内面に巣食う闇⇒神の働きかけを拒む頑なさ

今日の福音書の要は、「目の中の丸太」です。この言葉は、人の内面に巣食う闇、すなわち、神の働きかけを拒むかたくなさを表現している言葉です。子どもたちにはこれがありません。無理とはわかっていても、・・子どもに倣いたいですね。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第7主日:愛すること=ゆるすこと。イエスはいつも「あなた」の背後に

「愛する」こと、それは「ゆるす」ことです。徹底して相手を大事にしようとするとき、勇気が必要になってきますが、「わたし」の背後には、いつもイエスがいてくださいます。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第6主日:今、語りかけてくれるイエスの説教を、「わたし」はどう聴くか

今日のイエスの「平地の説教」は、今のわたしたち一人ひとりに呼びかけられている「よろこびの」メッセージです。泣いている「わたし」、嘆き節を言いたくなっている「わたし」、その他、今直面している問題を抱えている「わたし」はどうすればいいのでしょうか。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第5主日:自信がある領域でも謙虚に受け入れたぺトロに学ぶべきこと

ペトロは一つの体験によって、イエスに従っていく選択をします。わたしたちも、コロナ感染対策を体験しながら、「いのち」の有難さを今一度、振り返ってみてはどうでしょう。「わたし」という一人間の存在そのものが、いつも問われているのです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第4主日:「わたしの兄弟、姉妹、母です」と言える間柄を広く築きたい

日常を通して語りかけるイエスにの声に敏感になりましょう。「わたしの兄弟、姉妹、また母です」と言える間柄を、幅広く、深く、高く築きたいものです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第3主日:信仰感覚の新たな芽生えと育ちは、「わたし」の日常にある

はるか二千年前に生活していたイエスの隠された神秘に迫ろうとする心、態度はいつも大切にすべきです。イエスのことばをじっくりと確かめ、味わっていくうちに、圧迫から解放され、罪がもたらす苦痛からの赦しをいただくことができます。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第2主日:どんな些細なことでも、神を信頼して願い、委ねること

神はわたしたちの日常のささいなことに対しても、そっとやってきて救ってくださる方です。神はその「時」を見逃すことはないのです。日常の中における、そういう緊迫した「時」を大事にしていきたいものです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

主の洗礼:わたしたちの新しい使命は、普通に生きる中に示されていく

わたしたちは神を必要としています。このことを、人とのかかわり「隣人愛」を通して、神との繋がりを、日常の普通に生きる中で、実感し、さらに高めていけたらいいですね。普段の心身の「訓練」です。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

主の公現:真の救いへのあこがれ、渇きがこの「わたし」にあるのだろうか

救い主としてのイエスのもとへ最初に招かれた人々は、人間の、社会の闇の中に生きている人々であったのです。『神はどん底の闇からの叫びを顧みる』これが今日の福音の訴えではないでしょうか。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

聖家族:人の自らの限界に対処する仕方が、その人の生き方を決める

わたしたちは自分たちの限界にすら気づいていないかもしれない、と思うことがあります。自分一人の楽しみを求めるのではなく、せめて、家族の楽しみを願い、そのために動くことがあれば、限界も見えてくるのかもしれませんね。