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年間第3主日:イエスの業を引き継いでいる「わたし」は、今「やる気」があるか

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2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

年間第3主日(A年)の説教=マタイ4・12~23

2020年1月26日

阪神大震災(1995年1月17日発生)から25年が経ちました。大震災で被災した兵庫県内の12市のうち11市が、震災から25年が経過した今も、「震災の影響が残っている」と感じていることが分かりました。影響が残る分野は「財政」が最も多かったといいます。復興事業で多額の市債(借金)を発行した影響が大きく、12市の2019年度末の市債残高(見込み)は計約2兆円と、震災前の1.6倍にのぼります。(讀賣新聞大阪本社、2020年1月17日朝刊)

前を向いて皆が一つになることの大切さ

「店がなくなっても、自分を見失いたくない」「心まで被災してしまってはいかん」。これは、25年前、壊滅的な被害を受けた神戸市長田区の大正筋商店街を取材した際、店舗を失った伊東正和さん(71歳)が笑顔で話された印象的な言葉です。今もなお、柔和な表情はそのままで、「前を向いて、みんなが一つになることの大切さを震災で学ばせてもらった」と振り返ります。

伊東さんが営む茶舗「味萬(あじまん)」は震災で猛火に包まれ焼失しました。失意の中、それでも、翌月には焼け跡にベニヤ板を敷き、商品を並べたそうです。水道やガスはまだ止まっていて、茶葉が売れるはずもありません。なのに、客と話をすることで、心が癒されたといいます。

そして、仮設店舗のテント村「復興げんき村パラール」の開設にも尽力されたのです。他の若手商店主らと集客のアイディアを出し合い、地域住民の交流拠点として定着させたのです。日ごと広がっていく笑顔に、「活気こそが復興への力になる」と確信したそうです。

東日本大震災被災地支援にも引き継がれ

その思いは、東日本大震災の被災地に引き継がれていきました。支援を受けた南三陸さんさん商店街の元組合長、及川善祐さん(66歳)は「『どんな商店街が必要かを決めるのは住民自身』という伊東さんの教えは、みんなの胸に刻まれている。負の経験に触れることは辛いはずなのに、話してくれてありがたかった」と感謝しています。

そして昨夏、神戸市の大学生と高校生計5人が伊東さんの店を訪れました。阪神大震災後に生まれた若者たちに教訓のススメを語り継いでもらおうと、神戸市が企画した「阪神・淡路大震災U25プロジェクト」の一環です。そこで伊東さんは、発生直後の惨状、復興の軌跡、再開発後の現状…、丁寧に説明されたそうです。そして、人と人が助け合うこと、勇気を持って行動することの大切さを伝えたそうです。学生らは何度も訪れ、自分たちにできることを考え始めたといいます。

若い世代が次を切り開く「遺産の継承」

伊東さんは「若い人たちが震災や地域に関心をもってくれることが、何よりうれしい。わたしたちの25年を教訓に、次の25年、50年を切り開いてほしい」とやわらかい表情でおっしゃいます。

時の流れとともに、新たに生きていく世代が、こうして引き継がれて、今までの歴史の上に、さらなる新たな歴史を刻んでいきます。まさに、「いのちの遺産の継承」です。

今日の福音書は、「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」という表現で始まります。まるで、イエスがヘロデの手を逃れて、ガリラヤに行ってしまい、ヨハネが捕えられたので自分も危ないと思って逃げてしまったかのような印象を受けてしまいます。

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826村のテーマは、インターネット教会(電子教会)の研究です。

しかし、じっくりみますと、ナザレの地にいたほうがもっと安全なのに、ヘロデ自身が統治するガリラヤ地方に出向いたのでした。イザヤが言っています。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」。

ヨハネの後、イエスは公的に活動を開始

ガリラヤは、イスラエルの他のどんな町よりも恵まれない、悲惨な過去を抱え、苦しみと嘆きにおおわれた町だったのです。そこに「大きな光」としてイエスが登場してくるのです。マタイはイエスをそのように捉え、それは、メシア到来を予告することでもあったのです。

つまり、ヨハネが捕えられたことにより、イエスは自分が公に活動しなければいけない時が来たと悟ったのでしょう。動き始めたのでした。旧約聖書(イザヤ8章23b以下)の言葉がイエスの動きを説明してくれるのです。

現代のわたしたちも、言葉が目の前で出来事として起こると、自身の生活の中で、生きる意義が生じてきませんか。例えば、愛する人と念願の結婚ができたとか、待望の赤ちゃんを授かったとか、望んでいること、言葉に出してしゃべったことが目の前で現実なものとなるのです。俄然、やる気が出てきたり、強い気持ちになったりするのではないかと。

イエスの業は弟子たちからわたしたちへ

今日の福音書のイエスのできごとは、いわゆる「世代交代」を宣言しているように思います。長いイスラエルの歴史の中で言い伝えられ、その実現を望み続けてきた「メシア」の到来、それが人々の前で起きているのです。そして、ヨハネが説いてきた「悔い改め」をさらに推し進めていきます。イエスの愛とあわれみを受け取る人間の心の姿勢を求めるのです。イエスが初めになさった活動でした。つまり、わたしたち一人ひとりが、自分の貧しさ、弱さ、足りなさをしっかりと自覚し、神の恵みの中に己を委ねることです。自分で自分を救えないということです。この現実を悟る心を育て、伸ばしていきましょう。

さらに、イエスの業は弟子たちに引き継がれ、わたしたちが今、さらに引き継いでいるのです。

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