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年間第3主日:存在そのものがメッセンジャーになれますように

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年間第3主日(C年)の説教=ルカ1.1~4、4.14~21

2016年1月24日

神のぬくもり人間社会にはいろいろな約束ごとがあります。戦後、こんな車社会になることを誰が予測したでしょうか。その証拠に、日本は確かに道幅が狭いし、そのためか道路標識が多く、運転の邪魔にすらなります。また、時代の流れとともに、絵文字や記号が増えてきました。誰しも時には、絵文字や記号には戸惑うものです。

歌手の故越路吹雪さんの話が載っていました。(讀賣新聞西部版朝刊2016年1月14日)歩行者用の信号機がまだ珍しかったころの話。青信号なのに渡ろうとしない彼女に、渡るように促すと、「だって、男の人しか渡れないんでしょう」と。信号機には男性の絵が描かれていたのです。天真爛漫な彼女の人柄を伝えるお話です。そういえば、あまり意識して見てないですね。

記号が指し示している内容、メッセージが必ずあります。それ以上に言葉には、もっとはっきりとしたメッセージが込められています。つまり、その場で確認できるような仕方で心は豊かになり、清められ、高められていきます。その相手は人であったり、本であったり、・・。

今日の福音では、預言者イザヤの巻物が渡され、イエスさまはその中からの一節を朗読されます。多分に、それまでも何回も読まれた箇所でしょう。しかし、思いがけない言葉がイエスさまの口から飛び出したのです。「あなたたちが今聞いたこの聖書の言葉は、今日、実現した」と。来るべきメシアについて語り、悔い改めの説教を聞いたことは度々あったでしょうが、「自分はメシアである」と宣言する人の話なんて初めてでしょう。

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また、民衆がその宣言を聞くための準備ができていたかといえば、何もできていませんでした。むしろ、イエスさまも今までの人と同じ程度の人と見られていたと思います。したがって、当時の人にしても、びっくり仰天の一言だったのです。

今のわたしたちにとっても、仮にその世代に生きていたとして、いきなり「わたしはメシアです」といわれて信じられるでしょうか。せいぜい「驚き」で終わってしまうのが精一杯でしょう。重要なのは「誰が」語っているかです。誰からも尊敬され、慕われている人であれば、それだけで「メッセージ」を感じます。

わたしたちもそのような存在者になっていきたいです。存在そのものが、何かを秘めたメッセンジャーになれるように、・・。神の祝福のうちに。

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