『復活の主日』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2018年/B年説教=神への道標

四旬節第4主日:神に大事にされているからこそ、人を大事にする

世界のアスリートの皆さんも、困難を乗り越えるたびに、自分一人ではなく、多くの方々の支え、援助を感謝し讃えています。支えられているからこそ支えたい、愛されているからこそ愛したいのです。この喜びが互いの間に充満することを、そして、大地がこれを軸に回転していきますように願い祈りましょう。
2012年/B年説教=主との出会い

洗礼者ヨハネの誕生:信仰の育ちは「主の力が及んでいる」から

わたしたちが神のことに関心を抱き始めるのは、最初から神々しい、立派な動機があってのものではないでしょう。ヨハネに対してと同じように、わたしたちにも「主の力が及んでいる」のです。
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第3主日:イエスが教える生の源、神への愛に燃えているか自問を

「商売の家にしてはならない」ために、「わたし」をじっくりと見つめてみましょう。信仰者として「生きること」それ自体が「宣教する」ことではないでしょうか!礼拝の中でいただいた恵みと力に助けられ、信仰の分かち合いが、日常生活の中で実践されていきます。
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第2主日:イエスは沈黙を守る。その心は人の思いを超えたところに!

ペトロは、自分が思っているメシアとは真逆のイエスさまの姿を、しっかりと見るように促されています。私たちも、何かのとりこになっているとすれば、本来の姿へと呼び戻されたいです。それも、人間の思いを超えたものへと思いを馳せることができれば、・・
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第1主日:内なる「後押し」とは?四旬節は神が与える「訓練の場」

神は「荒れ野」にイエスさまを追いやり、訓練されます。どのような苦境に追いやられても、神だけが支えであるということを体感できる場が「荒れ野」だからです。その訓練の後についてくるのが、確固たる神への信頼です。
2018年/B年説教=神への道標

年間第6主日:救いとは?幸せとは?それが日常の中核にありますか?

今のわたしたちにも、特に、疎外された境遇にある人にとって、「救い」の実感が伴う日々であるよう祈り続けましょう。一人ひとりが違うということは、人間共同体の「財産」です。
2018年/B年説教=神への道標

年間第5主日:自分の弱さ、もろさを直視しながら、人として一歩前へ

今の「わたしらしさ」は何なのでしょう?日本社会という環境に生まれ、育ち、教育を受け、恩恵をいただきながら大きくなり、そして、弱さを持ちながら、間違いながらも託された使命を生きようとしています。いつも振り返りながらその時の自己を直視し、「人間」としてちょっと前へ進みたいですね。
2018年/B年説教=神への道標

年間第4主日:私たちの言動のよりどころは見栄、自慢?それとも奉仕?

神に裏付けられた確かさと豊かさが、わたしたちの権威の源となっているのでしょうか。わたしたちの日常の言動の裏には、見えないところで神がそっと支えてくださっている現実があります。それに気づくことが、奉仕への道のりを歩ませてくれる原動力となっていきます。
2018年/B年説教=神への道標

年間第3主日:神の「お墨付き」は絶対!イエスの招きに自分を託そう

人の世界の「お墨付き」には、「絶対、完璧」はあり得ませんが、神の「お墨付き」は絶対です。イエスさまがわたしたちに与えてくださった愛のすべてを受け、その愛を周囲の人々に与えていく信仰生活をめざしているのでしょうか。
2018年/B年説教=神への道標

年間第2主日:神との関係で方向転換を!そこに人の本来の生きる姿がある

イエスを理解し、魅せられていく。そして、イエスとともに歩いて生きていくことが、信仰者の中心にあります。そうすることで、すべて存在しているものの互いの関係性、存在評価が見えてきて、安定して生きることを楽しむことができます。
2018年/B年説教=神への道標

主の公現:イエスとの絆を深めるために、「平和とゆるす」ことを願う

メシアであるイエスさまに出会える人々は、貧しくへりくだった人たちです。東方からの訪問者も、ユダヤ人からは偶像礼拝者とみられ、異邦人の中でも最低の立場に置かれていた人々です。その彼らが、イエスさま誕生に呼ばれたのです。
2018年/B年説教=神への道標

聖家族:イエス、マリア、ヨゼフの一家団欒時の話題に思いを馳せてみる

神殿からの帰途、イエスさまが行列の中にいなかったのです。両親の心は大いに痛みました。しかも、「どうして、わたしをお捜しになったのですか。わたしは父の家にいなければならないことを、ご存じなかったのですか」と、逆に問い返されます。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第4主日:マリアが持つ神とのコミュニケーション力に着目しよう

イエスさまの救いの業は、一人の女性の一言で始まり、それは分け隔てのない無限の広がりをもった「フィァット」でした。わたしたちにとっては、この上ないありがたいことです。が、その「ありがたさ」が、わたしたち一人ひとりに伝わっているのでしょうか。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第2主日:イエスの先駆者・ヨハネが示したメシアの姿とは?

先駆者ヨハネは「道を整え、罪のゆるしへと導く悔い改め」を「力強く」宣言し、「忍耐力」をもって「愛にあふれた」メッセージを民に語り続けたのです。ヨハネが、今の「わたし」に何を語りかけているのか見出してみたいですね。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第3主日: 神の前に自己開示を!神は既に恵みを注がれている

謙虚に神の前に自己を開いてみましょう。神はわたしたち自身が気づかないうちに、すでに、わたしたちに恵みを注がれています。わたしたちはそのことに目覚めるだけです。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第1主日:信仰の「生長」ではなく「成長」に目覚め、期待したい

小さなイスラエルの民が、「人類の救い」という大きな影響力を与える存在になっていきました。彼らの中に生き続けている信仰心の凄さに、忍耐力に、今に生きるわたしたちは「目覚めて」いきたいものです。
2017年/A年説教=神のふところ

王であるキリスト:日常生活で自然に行っている業を確認し、奉献しよう

普段、何気なくやっていることを通して、日々、わたしたちはイエスさまに出会っているのです。このことに気付きたいものです。「最も小さな者の一人にしたことは、わたしにしたのである」とおっしゃっておられるからです。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第33主日:神の意図を生きる現場でどう読むか!掟との関わりは?

人は神の「意図」を知りながらも、自分の都合を優先してしまいがちです。掟や形を守ることだけに終始し、その掟の意図を見誤ると、偏った生き方、人間となりかねません。頂いた能力をフルに生かしながら、神の意図にそって、絶えず前に進み続けましょう。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第32主日:「今」の現実に魅かれながらも、未来の自分に目覚める

人は、未来の、不確かな現実よりも、確かな「今」の現実の方に魅力を感じてしまいます。また、負けてしまいます。ですから、将来の現実がどれだけ重要なのか、そのことをいかに感じるかによって、今の生き方に違いが生じてきます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第31主日:わたしの「権威」のよりどころはどこにあるでしょう?

「権威」は、その人に託された役割をよりよく奉仕できるように付与されているもの。奉仕のための力、エネルギーです。これが、外面的にはイエスさまの姿でもありました。イエスさまの裏付けがある本物の「権威」を求めていきたいものです。