2018年/B年説教=神への道標 年間第21主日:イエスの人格に惚れ、委ねる。信仰者の生きる姿がそこにある 徹底的に自分を変革したいなら、その人の「人格」にかけることです。委ねることです。「信じている」からこそ理解し、変えられ、納得できる歩みができます。そのような人を、誰でも「尊敬できる人」として持っているのではないでしょうか。 2018.08.23 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 年間第20主日:「食べる・飲む」それは互いに一つであることのしるし 「イエスの肉を食べる、血を飲む」という表現の中に込められていることは、一人ひとりの生き方がイエスの心に合わさって一つになることが求められている!ということ。イエスの十字架上での死は、わたしたちのためであることをしっかりと自覚しましょう。 2018.08.16 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 年間第19主日:神の引き寄せに気付くことができる「わたしの心」とは? 今日の福音書では、イエスさまとの出会いが信じるに足るものになるのか、ならないかは「心のあり方」に負うところが大きい!ということが示されているのではないでしょうか。 2018.08.09 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 年間第18主日:神を信じる道は、既に自分の命の苗床に植えられている 福音は「即効性」を期待し、「自分流」の世界に閉じこもっているユダヤ人が、イエスの真意にたどりつかないお話です。イエスは「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい」と言われます。 2018.08.02 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 年間第17主日:「任せきる心」がイエスとの真の出会いをもたらす 今日の福音では群衆の「自分本位」が露(あらわ)にされます。イエスさまのねらいに気付くゆとりはありません。表に見えるところで終わっていて、見えないイエスさまの心の部分に届かないのです。 2018.07.26 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 年間第16主日:「人里離れたところ」そこは活動の始まりの場 人間社会の具体的な施策の背後には、いつもそれを導く「神」がいることを心し、教育の世界で、その他の世界でわたしの「個」を生かしていけるようにあり続けたいです。そのためにも、思う存分休むことは、活動の一部でしょう。 2018.07.19 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 年間第15主日:宣教するとは、イエスの生き方を示し、語り継ぐこと 今日の福音から言えることは、「宣教する」とは「イエスさまご自身を伝えること、語ること」であり、イデオロギー、主義を語り継ぐことではない。イエスさまのそばにいることは、宣教のための最強の教育であったということができます。 2018.07.12 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 年間第14主日:イエスを受け入れ、歓迎するために必要なこととは? 国民栄誉賞の羽生選手の地元での大歓迎は、人々が羽生選手と共有できる何かを感じているからではないかという気がします。イエスさまも本当は、地元の人々に受け入れられたはずなのに、イエスさまとの心の共有ができなかったのです。それは、何なのでしょうか。 2018.07.05 2018年/B年説教=神への道標
2015年/B年説教=イエスのこころ 年間第14主日:日常性をうまく使いながら一歩前へ進みましょう。 日常の安定性はだいじです。でも命はうごめいているのです。止まっていません。だからこそさらなる挑戦が求められます。そこにイエスさまの真意が見えてきます。 2015.07.02 2015年/B年説教=イエスのこころ
2018年/B年説教=神への道標 年間第13主日:信仰とは?ヤイロは自己の無力感を通して神に出会った 「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうか、おいでになって娘の上に手を置いてやってください」とイエスにすがる会堂長。そこには、愛する娘の病を前に、なす術をなくした無力な父親の姿がありました。ヤイロは自己の無力感を通して神に出会っていったのです。 2018.06.28 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 洗礼者聖ヨハネの誕生:ヨハネは「前相撲」の大切さを伝えている 他者のために生きることが、とどのつまり、自分のためになっていくということをかみしめたいものです。いまの時代だからこそ、求められている生き方のような気がします。福音(平和のメッセージ)は黙っていても他者に伝わっていきません。 2018.06.21 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 年間第11主日:天国には皆が招かれている。しかし天国は場所ではない! 「神に似せて創られた」人間には、目に見えず、感じないながらも中に秘めた素晴らしいものがあるのです。大事なことは、それらの魅力が発揮されやすい環境にあるかどうかです。つまり、神の働きかけが功を奏しやすい状態にあるかということです。 2018.06.14 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 年間第10主日:イエスは「常識」を超えた世界へ、私たちを招いている 人であれば誰もが持っている「良識」を目覚めさせましょう。さらに「信仰心」を呼び覚ましましょう。すると、常識を超えた世界が展開され、そこが「信仰の世界」と呼ばれているのではないでしょうか。 2018.06.07 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 キリストの聖体:神のなさりかた、それは、自分を無にする。人のために! 人の世界では立場が人をより上に推し進めます。本人も役職を自覚して成長していきます。外見上も品ある姿に変貌していきます。ところが、イエスさまの場合は、みじめな姿に落とされていくのです。 2018.05.31 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 三位一体:神は自己啓示を続け、交わりに招いている。どう答えますか? 神は自己啓示を続けられます。教会を、ローマ教皇を通して、国のリーダーを経て、隣人を通して、家族・兄弟姉妹を通して、ご自分の交わりに呼び込んでいらっしゃいます。それに気づいて、さらに「イエス」というか「ノー」というのか、・・。 2018.05.24 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 聖霊降臨:聖霊は教会を生かし、いつも、一人ひとりに働きかけている 現代の教会をつくっている私たちも、弟子たち同様に、弱い存在です。私たち一人ひとりは、現に、誰かの助けをいただきながら生きています。聖霊に対して、開かれた心、救いを渇望する心を捧げ、祈り願いましょう。教会が、私たち一人ひとりが生きた救いのしるしとなれますように。 2018.05.17 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 主の昇天:イエスの救いの業の継承は弟子たちへ、そして、今の私たちへ 福音宣教することは、自分の人間的な信念やイデオロギーを伝え、広めることではない。あくまでも、イエスさまを伝えることであり、イエスさまに人々を出会わせることにあります。世界の人々は、嘆きの叫びをあげて救いの訪れ、福音を待っているのです。 2018.05.10 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 復活節第6主日:キリストが愛したように隣人を愛することはできないが… わたしたちの日々のなすべき努力は、「わたしたちの弱さを助け、導いてくださる」聖霊を意識し、信頼していくことでしょう。「神に逃げる」ことは卑怯者や弱虫ではありません。人としての温かさを育むこと、豊かな心を抱くことです。 2018.05.03 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 復活節第5主日:イエスに繋がっていますか。留まり続けたいですか? 今日の福音の話は「わたしにつながっていなさい」というメッセージが重要な中味ではないかと思います。「つながっている」「とどまっている」というのは、お互いが身も心も任せきってしまうほどのかかわりでないと「安心」できないのではないでしょうか。 2018.04.26 2018年/B年説教=神への道標
2018年/B年説教=神への道標 復活節第4主日:善い牧者は、羊を、わたしたち人間を決して見放さない。 「善い牧者」の生き方は、イエスさまの人類に対する愛の確かさを示すものです。決して見放すことはなさいません。わたしたちがイエスさまを見放さない限り、一人ひとりを名指しで招かれます。 2018.04.19 2018年/B年説教=神への道標