『聖霊降臨』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2017年/A年説教=神のふところ

主の昇天:イエスはいつの時代も、誰にとっても「イクボス」(理解と配慮のある方)です

「わたしが去っていくのは、あなたがたにとって有益である」(ヨハネ16章7節)その上で、聖霊の注ぎによって、自立への道を弟子たちに準備なさいます。イエスさまはいなくなったのですから、「見ないで信じる信仰」へと弟子たちを招かれるのです。
2017年/A年説教=神のふところ

復活節第6主日:聖霊が働きやすい場を整えるためには、謙虚さが必要

イエスさまと一緒になるための妨げは自分の弱さや罪ではありません。妨げているのは「傲慢心」です。弱いのに強がっている心、間違っているのに正しいと思い込んで、正当化しようとしている自分の心の状態に気づいて、人に、仕事に、そして、神の前に謙虚になりたいものです。
2017年/A年説教=神のふところ

復活節第5主日:恵みは現実への招き。イエスは非常識ではなく常識を超えている

「心を騒がせてはならない。・・わたしを信じなさい」と言って、弟子たちの信仰が本物の信仰になるように働きかけ、励ますのです。つまり、イエスさまのなさる行動は、「非常識」なのではなく「常識を超えた」ものであることに気付きなさいという招きなのです。
2017年/A年説教=神のふところ

復活節第4主日:羊飼いと羊の関係は、人間の母親と赤ちゃんの関係と似ている

羊飼いと羊の関係は母親と赤ちゃんの関係に似ています。羊飼いのイエスさまは、わたしたち羊を裏切ることがありません。名指しで覚えられ、呼ばれているのです。このことに目覚め、日々の生きる関わりの中で、イエスさまの「声」に気付きたいですね。
2017年/A年説教=神のふところ

復活節第3主日:人は皆、外に見えない神のメッセージを持っている。

出来事の裏、見えないところに秘められている神からのメッセージは、現実の生きざまの中で体験しています。人間の常識の世界に留まることなく、否、その中にいながら永遠の命への望みを確かなものとしていくように、信仰を増していただきましょう。
2017年/A年説教=神のふところ

復活の主日:イエスの十字架と復活の出来事を「わたしの体験」にしたい

「イエスの十字架と復活の出来事」が、人間の救いにとって決定的な意味と力をもった出来事である、という「わたしの体験」になってきたとき、キリスト者としての誕生(洗礼)となります。そして、その出来事に込められている神のやさしさと愛、恵みと力の証人ともなっていきます。
2017年/A年説教=神のふところ

復活節第2主日:イエスは太陽と同じく、すべての人に平安とゆるしを与える

弟子たちは復活したイエスさまから、確かな勇気と平安が与えられることを実体験しました。わたしたちの信仰の太陽は、主の「復活」です。太陽(イエスさま)そのものを見つめることはできませんが、太陽に照らされるものを見つめることはできます。
アキラさんの絵手紙

栄冠手にするその日は近いぞ–広島カープ25年ぶりのリーグ優勝へ

栄冠手にするその日は近いぞ≪優勝へのマジックナンバーが1となっていた広島は、10日(土)夜、東京ドームで2位巨人と対戦。6対4で勝ち、25年ぶり7回目のリーグ優勝を果たしました。カープファン・アキラさんの喜び!にカンパイ!!!≫
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第5主日:文化は違っても、その文化の中で人は神に向かっている

西洋の「罪の文化」と日本の「恥の文化」という表現があるようにその環境は違っていますが、生きている「人」は「人として」同じです。神に向かっているのです。神によって、人としての生き方、信仰に、今必要な中味を上乗せしていただきましょう。
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第4主日:弱くても強いのは、弱さに目覚めたときに神の恵みが働くから

人の世では、子どもたちを含め、「弱い立場にある人」の思いはどこかで無視されること、後回しにされることが多いです。しかし、その同じ弱さは、わたしたち皆の中に存在します。それに目覚める時、真の問題解決に向かうのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第3主日:生き生きとした出会いを実現するために必要なこととは

サマリアの女は、イエスさまによって冷えきった心の壁を取っていただきました。すべてがさらけ出され、そこに新しい生きる水があふれるほどに流れ込んできました。わたしたちも生きている実感を、イエスさまとともに感じ取りたいです。そのような出会いを日々、実現させたいです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

待降節第1主日:目覚めていれば、完璧ではなくても十分な準備はできる

来たるべき救い主との出会い(到来)を「目をさまして」待つように勧めて、始まります。その一つは、主の誕生を準備し、もう一つは、イエス・キリストの再臨を意識して準備する時なのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

待降節第2主日:メシアを「待ち望む」ことに裏切りはあり得ません。

待降節は字のごとく、「待ち望む」期間です。キリストの誕生を待つと同時に、将来における救いの完成を待ち望む心を整えるという意味も含んだ「待つ」です。
2015年/B年説教=イエスのこころ

待降節第3主日:一人ひとりの中にある「宗教心」にもっと目覚めましょう

「あなたの人生を一言でいうと、・・」と問われたら、何と答えますか。答えに、挑戦してみるのもいいのではないでしょうか。そこに、いつも希望と信頼を増大させ、後世への「あかし」としていきましょう。
2015年/B年説教=イエスのこころ

待降節第4主日:神のまなざしに包まれて、無に過ぎない者が恵みを得る

神に「とくべつに目をかけられること」の中に、恵みを見ているのです。ましてや、受けるほうに、自分には目をかけてもらえる価値や資格はないと思えば、それだけ恵みだという自覚が強くなります。
2015年/B年説教=イエスのこころ

聖家族:マリアとヨゼフの要にあったのは、「主・神」との繋がりでした

神との出会いがすべての始まりでした。「出会い」というとき、双方の思いと動きがあって出会います。イエスさまとの出会いも、双方が近づき、出会い、病と心の癒しがあって、弟子となっていくというパターンが普通です。
2015年/B年説教=イエスのこころ

主の公現:神の救いの計画の広さと豊かさを示してくれる主日

律法に従った正しい生き方のみで救われるというのではなく、福音を「信じる」ことで救われるという神の計画が示されています。だからこそ、律法を知らない羊飼い、東の世界の異邦人・学者たちがいち早く「イエスさま誕生」の席に招かれました。
2015年/B年説教=イエスのこころ

主の洗礼:その人にとって、その生き方が決まる人生最大の瞬間です

わたしたちの受洗はどうでしょうか。あの時は燃えていたな、活力満点だった、素直に従順だった、思い出すことがたくさんあるのではないでしょうか。「初心忘るべからず」で、原点に気づくことでしょうか。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第2主日:日常の中でなされる神からの「呼びかけ」を無駄にしない

年間第2主日(B年)の説教=ヨハネ1.35~42 羊飼いにしても、東方からの訪問者たちも、神から差し出された日常的な呼びかけに応え、隠された神の救いの計画の中に引き込まれていったのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第3主日:自分自身を捧げものとして奉献できますように!

自分はこのような仕事をするにふさわしい存在ではない、ということはないのです。それを十分に果たすことのできる力をも用意してくださっているのです。