待降節第1主日(C年)の説教=ルカ21・25~28、34~36
2021年11月28日
子どもたちを取り巻く環境、教育現場、日常の生活現場の環境は、決していい状態とは言えない気がします。いじめ、虐待等、どれを取り上げても、その成果が上がっていることを感じないのです。つまり、同じようなことの繰り返しで、むしろ、隠ぺいする術の方が巧妙になって、外にもれにくくなってきた感すらします。どうしてこのような印象を抱かざるを得ないのかと自問しています。
問題対応・画一的マニュアル化の限界を懸念
それは、以前からずっと感じていることでもありました。つまり、何も子どもにかかわることだけではないですが、何か新たな問題が発生しますと、その問題の「処理・解決」だけにこだわり、また、事実の羅列、その問題の責任の追及、再発防止策の提案で終わってしまって、そして幕引きされるのです。
一方で、これだけ事件、問題が起きるからには、といって、問題への対応策を「マニュアル化」して、問題を一般化してしまっているように見えます。問題は、すべてが同じくして起きるものではないと思います。人が絡んでいるのです。それも、それぞれに異なる個性を持った人が関わっているのです。だからこそ「マニュアル化」していいものでしょうか。その時々で対応のあり方も違ってくるのではないでしょうか。本当は、もっと詳しい多方面からの対応策が講じられているのかもしれませんが、・・わたしには見えません。
さらに、通常、子どもの「育ちの過程」を考慮した対応、教育の提供ができているのでしょうか、と自己反省をしながら考えています。要するに「生態学」の視点からの育ち、子ども自身の成長・発達過程に、もっと関心を傾ける必要を感じているのです。専門家の助けが要りますが。たしかに、学習指導要領には立派な文言があります。これを実現するには、まず、教師自身、また、幼稚園、学校側の教職員が、一人の人としての「ふりかえり」が必要な気がしなくもないです。
このような状況下で読書したり、新聞を読んだりしていますと、否応なしに子どもに関する内容に心と目が向いてしまいます。
施設養護の限界を感じNPO設立の若者に共感
親から虐待を受け、児童養護施設で育った宮本一幸さん(28歳)が、子育て支援に取り組んだという記事を見ました。
転機は17歳の冬の出来事だったといいます。ファミリーレストランに立ち寄ると、児童相談所で顔見知りだった小学2年の女児が夜、一人で食事をとっていたのです。首にポーチを下げ、お金を数えながら。その後ろから名前を呼び「なんで一人?」と尋ねたところ「お父さん、おらんけん」。かつての自らの姿を重ね「こういう子を救っていく」と誓ったのだそうです。(讀賣新聞西部版2021年11月22日朝刊)
宮本さんは、同じころに里親となってくれた波村双美(はむらよしみ)さん(57歳)らの支援を受けながら定時制高校に入り直し、専門学校、短大に進んで保育士や幼稚園教諭などの資格を取りました。その後、北九州市の児童養護施設で働き、フィリピンやカンボジアで教育支援の取り組みに参加しました。様々な体験を重ねる中で、育児や家事に追われて時間がない親と、甘えたい子どもとの欲求がかみ合わないケースが多いと感じたのです。母親らに心の余裕と時間を提供できたらと考え、NPO 法人「OHS」の代表となり、事業に取り組み始めたのです。法人のテーマは「大人が笑えば、子どもも笑う」です。
人は、絶えず限界を感じながらも一生懸命生きています。そして、どこかで満足していない自分をも感じています。やはり、救われていることを実感できていないのでしょうか。
救い主を待ち望み、準備をする期間の始まり
今日から待降節に入りました。救い主を待ち望み、そのために心の準備をする期間です。「救い主」というからには、待ち望むわたしたちが、心から救いを望んでいますかということが大きく影響します。救いなんて自分は必要ないと思っている人がいるかもしれません。これだけ楽しく元気に過ごしているんだから、今はピンとこないということでしょうか。しかし、この世の楽しさは、これまでの経験でもわかっているように、永久に続くものではないです。現実の移ろいをしっかりと受け止めていく姿勢を、待ちのぞむ期間、待降節を始めるにあたり、今、新たにしたいものです。
そこで今日の福音書は、わたしたちが生きているこの世が、わたしたちの思い通りにはいかない、人の力ではどうしようもないものであることを示すために、終末を語るイエスの言葉を記しています。
天候不順等、自然界の大きな力の前では、人は悩み、苦しみ、嘆くだけの姿勢しか取れないのが事実です。そうはいっても、自然より恐ろしいもの、それは人間そのものではないでしょうか。人間のエゴが噴出したときには、弱者は悲しむだけです。人の喜び、幸せは人とのかかわりから生まれ出ます。が、その逆もまた、人とのかかわりにあります。人を悲しみ、苦しみに追いやるテロ、戦争、憎悪などは、人を絶望の現実に追いやります。
現実は思い通りにはならないことが多くても
わたしたちの幸せな人生は絶望と隣り合わせということができます。だからイエスは叫ぶのです。「身を起こして頭をあげなさい」「人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」と。
子育て支援の必要が大切である現実を知りつつ、NPOを立ち上げた宮本さん。人の温かさに飢え乾いている子どもたちをいなくするために決意した活動でした。どんなに称賛に値することができたとしても、「絶対」はあり得ません。だから、求め続けなければいけないのです。宮本さんは「問題を抱える前の支援が大事」との思いを秘めて、これからも活動の幅を広げ、続けていくとのことです。人の、今のありのままをしっかりと見つめた歩みがうかがえます。
「今のわたしは、救いが必要ですか。自分の今をどう感じていますか」
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