カトリック鹿児島司教区主催の竹山昭神父の夏期集中講座は、毎年8月末に5日間行われている。
可能な限り参加して、動画を撮影、YouTubeにアップしてきたので、年次別に紹介したい。
なお、動画の撮影&アップ並びに資料の公開は竹山神父の了解のもとに行っている。
2018年夏期集中講座【第27回】
祈りを中心に抱く「山上の説教」(マタイ5章~7章)
- 2018年第1講—山上の説教の基本的性格
祈りを中心に抱く「山上の説教」第1講—竹山昭神父の2018年夏期講座「山上の説教」(マタイ5~7)の基本的性格①山上の説教の説教は新たな律法か ②ディダケ―としての山上の説教 ③要理教育としての山上の説教 ④要理教育ないし新受洗者の指導という基本的性格から生じる一つの結論 - 2018年第2講—序論:「八つの幸い」「地の塩・世の光」
祈りを中心に抱く「山上の説教」第2講—竹山昭神父の2018年夏期講座①マタイの聴衆(マタイ5:1)とルカにおける聴衆の違い(ルカ6:20) ②「八つの幸いの」全体の構成と表現の特徴⇒現在のマタイ版はマタイによるまとめ(創作とは違う)。この表現から、八つの幸いは、いわば将来の約束、希望を語っている。 ③八つの幸いの大意---「霊において貧しい人は幸い」が八つの幸いの根底に共通。 - 2018年第3講—本論:「律法と預言者」による囲い込み
祈りを中心に抱く「山上の説教」第3講—竹山昭神父の2018年夏期講座本論は3つの部分からなる。冒頭にイエスと律法についての総括的原則(マタイ5:17-20) 主題:「言っておくが、あなた方の義が律法学者やファリサイ派の人々の義に勝っていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることは出来ない」(20節) - 2018年第4講—本論第2部:偽善者の義(施し、祈り、断食)マタイ6:1-18
本論第3部:「思い煩うな」とは マタイ6:25~34
祈りを中心に抱く「山上の説教」第4講—竹山昭神父の2018年夏期講座先の対立命題が律法学者を念頭においていたのに対し、ここでは人々の偽善ぶり、恐らく文脈から考えてファリサイ派の人々の振る舞い、ユダヤ人にとって慣れ親しんだ敬神のわざである施し、祈り、断食が取り上げられる。 - 2018年第5講—①主の祈りを中心に抱く構成②祈りとしての実践
祈りを中心に抱く「山上の説教」第5講—竹山昭神父の2018年夏期講座主の祈りが山上の説教全体に占める位置を、 U.ルツの詳細な注解書「マタイによる福音書」の見解を援用して、確かめたい。また「主の祈り」を導入しているイエスのことばの意味を考えてみたい。
2017年夏期集中講座【第26回】
私たちは「信仰宣言」で何を表明するのか
- 2017年第1講—「信仰宣言」のカテケーシス(1)「天地の創造主、全能の、神である父を信じる」
私たちは「信仰宣言」で何を表明するのか—竹山昭神父の2017年夏期集中講座①8月21日に行われた【2017年第1講】は「信仰宣言」のカテケーシス(1)「天地の創造主、全能の、神である父を信じる」 - 2017年第2講—「信仰宣言」のカテケーシス(2)(3)「父のひとり子・・・・・主イエズス・キリストを信じる」
私たちは「信仰宣言」で何を表明するのか—竹山昭神父の2017年夏期集中講座②信仰宣言のカテケーシス(2)(3)は「 父のひとり子、わたしたちの主 イエス・キリストを信じます。」の中身について - 2017年第3講—「信仰宣言」のカテケーシス(4)「聖霊を信じる」
- 2017年第4講—「信仰宣言」のカテケーシス(5)「聖なる普遍の教会、聖徒の交わりを信じる」
- 2017年第5講—「信仰宣言」のカテケーシス(6)「罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じる」
2016年夏期集中講座【第25回】
光の中にイエスの顔があるから
- 2016年第1講—わたしはどこからきて、どこへゆくのか?
光の中にイエスの顔があるから---竹山昭神父の2016年夏期集中講座①2016年8月22日に行われた第1講は、わたしはどこからきて、どこへゆくのか?がテーマ。約70分の講話を無編集動画と配布資料を抜粋したテキストで構成して掲載しました。 - 2016年第2講—光の中にイエスの顔がある~信仰をめぐって~
光の中にイエスの顔がある~信仰をめぐって~竹山昭神父の2016年夏期集中講座②「信頼する」と「信用する」は全く違うものである。主に経済活動で使われる「信用する」行為には、実は裏付け・担保が存在する。このことは銀行が個人や会社を信用する場合を考えれば明らかである。一方、信頼には保証はなく、ある種の冒険をはらんでいる。人が信頼する相手が神である場合は、これを信仰と言う。 - 2016年第3講—すべてを語る責任~あかしをめぐって~
すべてを語る責任~あかしをめぐって~竹山昭神父の2016年夏期集中講座③福音宣教とは、イエスの訪れの事実と意味を告げること。あかしするとは、自分の身に起こった出来事をどのような観点で見て、語るか。教会や共同体には出来事の全貌を語る役割が求められる。 - 2016年第4講—イエスの思いの場に戻る~ミサをめぐって~
イエスの思いの場に戻る~ミサをめぐって~竹山昭神父の2016年夏期集中講座④①ベタニアでの出来事(マルコ14.1~11)②晩餐に臨むイエスの思い③食事の席で④これはあなたがたのためにわたされるわたしのからだ---多くの人のために流されるわたしの血---新しい契約⑤ペトロの裏切り⑥イエスの思いの場に戻る - 2016年第5講—主の祈りは世界を巡る~祈りをめぐって~
主の祈りは世界を巡る~祈りをめぐって~竹山昭神父の2016年夏期集中講座⑤アウグスチヌスは「祈りは神さまとの対話」と言ったそうですが、竹山神父さんによると、祈りは『神さまの前に自分の魂を注ぎだす行為であり(サムエル記上1参照)、同時に神さまの語り掛けを聞くことである』とのこと。
2015年の夏期集中講座【第24回】
カトリックの信仰
- 2015年初日—秘跡はキリストとの出会い
秘跡は、キリストとの出会い---竹山昭神父の夏期集中講座20152015年8月に行われた竹山昭神父の夏季集中講座・初日の動画です。この夏季集中講座は、ザビエル教会で、8月下旬に5日間行われました。初日から順次、掲載していく予定です。 - 2015年2日目
- 2015年3日目
- 2015年4日目
- 2015年5日目
2014年の夏期集中講座【第23回】
カトリックの信仰
- 2014年初日—カトリックの信仰「復活と教会」
YouTube作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有 - 2014年2日目—復活信仰の内容
YouTube作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有 - 2014年3日目—教会はキリスト者の共同体~キリスト者の特徴は、信仰、愛、希望そして祈り
YouTube作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有 - 2014年4日目—教会Ⅱ①キリスト者の特徴である「祈り」—祈りとは人間が神の前に自分自身を注ぎ出す行為②教会の種々の相—-「キリストの体」「旅する新しい神の民」③使徒伝承と聖書—使徒伝承の中から聖霊の特別な導きによって文書化されたものが聖書
YouTube作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有 - 2014年5日目—使徒たちとその後継者、神の母マリア
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2012年夏季集中講座【第22回】
- 2012年1日目—信仰は人間の本性から湧き出る欲求である。それは人間の根源的貧しさに由来する。
- 2012年2日目—私たち人間が断ると、神は何もできない。しかし、神は決して諦めない。私たちを待っておられる。
YouTube作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有 - 2012年3日目—祈りについて〜マタイ福音書とルカ福音書の「主の祈り」を巡って〜
YouTube作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有 - 2012年4日目—『創造信仰』について
YouTube作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有 - 2012年5日目—キリスト教の救いについて考える
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2011年の夏期集中講座【第21回】
あなたがたは私を誰だというのか
- 2011年初日
- 2011年2日目
- 2011年3日目—イエスの3回の受難予告と弟子教育
- 2011年4日目—ベタニアでの塗油、ヨハネ8章に出てくる姦淫の現場を捕えられた女に関する話
- 2011年5日目—最後の晩餐で交わされるイエスと弟子たちの会話からメッセージを読み取る