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祈りを中心に抱く「山上の説教」第4講—竹山昭神父の2018年夏期講座

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竹山昭神父の夏期集中講座2018年第4講

2018年第4講の動画

第4講のレジュメ(骨子)

山上の説教本論第二部:偽善者の義(施し・祈り・断食)マタイ6:1~18

  1. 先の対立命題が律法学者を念頭においていたのに対し、ここでは人々の偽善ぶり、恐らく文脈から考えてファリサイ派の人々の振る舞い、ユダヤ人にとって慣れ親しんだ敬神のわざである施し、祈り、断食が取り上げられる。
  2. 「隠れた施し」とは
  3. 「隠れた祈り」とは
  4. 〈頭に油をつけ、顔を洗って断食する〉?

山上の説教本論第三部:「思い煩うな」とは?(マタイ6:25~34)

  1. イエスは二通りの比較で何を言いたいのか?
  2. 「思い煩う」ないし「想い患う」は、ついには人の心を患わせるような思い悩みのこと
  3. 「何を食べ、飲み、何を着るか」が何故「信仰」の問題になるのか?
  4. この語りかけの相手は?
  5. では、わたしたちは?

配布資料

第4講レジュメ

カトリックの教え
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yaziro

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yaziroの名は、1549年聖フランシスコ・ザビエルを鹿児島に案内してきた薩摩の人・ヤジローにあやかっています。

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