『復活の主日』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第16主日:神は「憐れみと愛にあふれた」活動を評価される

年間第16主日(C年)の説教=ルカ10.38~422013年7月21日   何の理由も無く、いきなり「君はなんて無駄なことしているの」といわれますと、正直言って、ムカッときてしまいます。自分がされるとそうなんですが、同じようなことを、自分が...
2010年/C年説教=神のまなざし

年間第28主日:傷ついた心を癒してほしいとき最高峰に神がおられる

仮に人が裏切ることがあっても、神のあたたかな愛はいつもわたしたちの上にそそがれています。ある意味で「当たり前のこと」(神の保護)を当たり前として受け止め、当たり前の反応を示すことがいかに大事であるか、改めてじっくりと見つめてみましょう。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第28主日:いい人との関わりを通して大きく成長していきたい

イエスさまを取り巻く人々の存在は、イエスさまにも少なからず刺激をあたえてしまうのです。しかし、地上の現実にのみ心を奪われている人々には、イエスさまのことば、招きが入り込む余地はありません。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第27主日:イエスさまはいつも、援助の手を差し伸べています

日常の生活の中で、出会ってきたイエスさまの言葉、行いの中に、その実、本当の救いへの道筋が示されていたのです。それを発見するのを妨げているものは何でしょうか。自分の心の奥をじっくりと眺めてみましょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第27主日:欲望が自分の悔い改めを妨げていないか確認すること

表面をいくらきれいに飾っても、その「化けの皮」は剥がれていきます。あくまでも表面だからです。「嘘の皮」はそぎ落として、その奥を見つめましょう。謙虚であり続けるために、・・・。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第26主日:おもてなしは敏感な感受性をとぎすますこと

「おもてなし」は他者に開かれた人間本来の生き方が込められています。自分が持っている命も財産も、すべてが他者のために活かされてこそ、本来の価値が、重みが出てきます。自分が持っているものは、所詮、自分のためだけにあるのではありません。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第26主日:自己中心に動く人に真の救いはあり得ない

狭い心ではなく、広い心をそなえた人として動く時、イエスさまの意図することが分かり、真の救いに到達できるのです。そこには俗っぽい駆け引きは存在しません。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第26主日:人間には「悔い改める」という行為ができます

悪いと思いなおして態度を改めていくのです。このようなことを何度も体験なさってきたのではないでしょうか。そこに、わたしたちの成長があります。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第26主日:良心の働きに気付いた時が「考え直す時」です

今日の福音に登場する二人の兄弟は、二人とも「幻惑」と「考え直す」時を体験し、一人は「あるべき道」に戻りましたが、一人ははずれていきました。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第25主日:イエスは「不正な管理人」をなぜ褒めたのか?

この世の富は、所詮、不正にまみれています。しかし、わたしたちはその不正な富を使うしかないのです。明らかに、管理人の行動は、神と主人を意識してのものではありませんが、借金のあるかわいそうな人の側に立ったのでした。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第25主日:「ありのまま」で神の前における品位こそ大切

ありのままの自分を隠すことなく、そのあさましさに留まりながら、謙虚さを学ぶ。人間的には品位がないように見えるような状態の中に、実は、神の前における品位があったのでした。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第25主日:神は人間の常識を超えて「あわれみ深い」

今日のたとえ話の雇い主は神です。そこには、人間の常識を超えた神のやさしさ、温かさ、あわれみの深さがあります。「あわれみ」とは、命に対するやさしさ、見て見ぬふりができない心をさしています。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第25主日:神の思いは、無条件です。「いいわけ」はありません。

神は限りなく「アナログ」派であるような気がします。細かい配慮、ぬくもり、誠実さをいつも大事にお示しになるからです。デジタル化へ進もうとしているわたしたちは、神の思いと人の思いの差異に悩み、痛感している日々ではないでしょうか。
2014年/A年説教=神のたしかさ

ラテラン教会の献堂:五感を使って祈ることで、信仰を養成しましょう

教皇の司教座聖堂であるラテラン教会の献堂の日に、世界中のカトリック教会はキリストの唯一の教会に結ばれて、清いいけにえを捧げ、豊かな救いの恵みが与えられるように、皆の思いを結集して祈るのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

十字架称賛:人類にとって、十字架が「神の力」でありますように!

十字架は、死と地獄に打ち勝たれた主キリストの旗じるしとなり、人びとに永遠の幸福と罪のゆるしをもたらすものとなったのです。全く新しい意味が加えられ、今ではキリスト教の称賛すべきシンボルとなっています。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第24主日:教会共同体は、みなが喜ぶ集いになっているでしょうか?

救いに条件があるとすれば、集められたわたしたちが、一緒に喜ぶ「つもり」があるんですか、ということです。今の教会共同体がみな、「一緒によろこんでいる集い」になっているかどうかです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第24主日:イエスはユダヤ人のこの世的メシア像を砕いた

ユダヤ人のメシア像は、ローマの支配から人々を解放し、自由と独立を与える存在。イエスは「あなたは神のことではなく、人間の思いにしたがっている」と、彼らのメシア像を砕いてしまいます。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第24主日:信仰生活と日常生活に遊離はない。日常の行いが大事

今日の福音が強調しているのは「ゆるす」ということです。わたしたちの日々の生活は、このゆるしを前提に織りなされているといっても過言ではありません。それだけに大切な日常の心がまえとなります。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第23主日:イエスさまは生きる最高の価値を「神」に置く

現代でも、有名人になれば一目見たいという好奇心がわいてくるものです。この「好奇心」の陰に横たわっていた人々の現世的利益と幸福を願う思いを、イエスさまは徹底的に崩してしまおうとされたのでしょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第23主日:救われるためには、罪は罪として本人が自覚すること

助けを求めている人が近くにいるなら、臆することなく振り向いて共鳴し、その人に何らプラスの変化が起きなかったとしても、勇気を失わずに希望を強くして祈り、手を差し伸べることをやめないことです、と今日のイエスさまは叫んでいます。