『復活節第4主日』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2012年/B年説教=主との出会い

年間第20主日:「一つになる」ためには自分から合わせる姿勢が必要

「わたしの肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちにいのちはない」(54節)聖体拝領には、イエスさまの十字架、あがないをよく知り、しっかりと受けとめることが求められます。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第13主日:祈りは自己をさらけ出して、膝まづくことから

ヤイロは会堂の司ですから普段は指導者的な活動をしてきたのでしょうが、今日は違います。大事なものへの優先順位があります。地位よりも娘への愛です。命へのこだわりです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第13主日:イエスが弟子たちに要求した「覚悟」とは?

イエスさまのことばに、ご自分の使命への厳粛さとやり遂げようとしているイエスさまの強い思いを感じます。「手をすきにつけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」と。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第13主日:苦境の中で謙虚になる時、目覚めさせてもらえる

イエスは「恐れるな、ただ信じよ」と言われます。行き詰まって、思うようにならない状態であると分かると、人は「祈り」ます。愚痴を祈りとしてささげましょう。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第12主日:社会の喧騒から抜け出し、心の燃料補給をしっかりと

バランスのとれた活動と祈り(休憩)こそが、使徒としての、キリストの弟子としての生きざまといえます。いわば「動と静」のバランスです。それにプラス、自己奉献といいますか、自己放棄の心が加わるようにとイエスさまは望まれます。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第11主日:人知れず寄り添い働きかける神に委ねる

「人知れず」神はわたしたちに寄り添い、支え、導いてくださるのです。その神に、あなたは委ねることができますか?返事に躊躇している間も、神は働きかけて下さっています。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第11主日:愛とは自分のすべてをさらけ出し見せること

年間第11主日(C年)の説教=ルカ7.36~8.1~32013年6月16日      人としての生き方はそれぞれです。どの生き方が幸せなのか、その人にしかわからない世界といえます。その生き方によって、その人の「タイプ」が決まるような気がしま...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第10主日:日常の中で、神の具体的な関与に気づきたい

イエスさまがゆきづまったある母親の心を察して、そのあわれみを示されるのです。人の悲しみ、痛ましい姿を見て見過ごしてはいられないイエスさまのやさしさがうごめきだしたのでした。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第8主日:「天の父は必要なことをご存知である」という謙虚さをもつ

どれだけ努力して、生きることへの工夫をしても、その頑張りに報いるだけの保証が、与えられるわけでもありません。こうした現実を受け入れることも「謙虚さ」です、と言われます。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第7主日:不調の時に神を求める祈りは人間の渇き、普通の姿

神はさりげなくわたしたちを引きよせてくださいます。わたしたち人間に強いることなく、わたしたちを肯定し、高めてくださいます。だから、苦しいときの神頼みも意味が出てきます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第7主日:平和と秩序の基盤は権利だけでなく、天のおん父の心で

それは、悪いことだとわかっていても、手を染めてしまうわたしたちの現実をご存知の「父」だからこそ、伝わってくる内容であると思います。その極みが十字架の死に至るまでご自分を渡された独り子イエスさまです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第6主日:人の知恵ではなく「神の知恵」に気づくことができれば・・

「法律」は人のためにあるのであって、もっとつき進めれば、人のいのちを守るため、人としてその人らしく生きるためにあるということができます。本来の姿でしょう。法によって人間の品位が落ちるようなことはあり得ないことです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第5主日:大事なことは塩気を保ち、光を放ち続けることです

自力によってではなく、受洗によってもたらされたキリストの光に照らされ、導かれている事に気づき、受け止めることです。「わたし」の活動に味わいをつけてくださるのはイエスさまだからです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第5主日:「神の幸福」に与るには自分のみじめさを直視する

自分のみじめさを直視する人にとっては、そこから神に向かう祈りが始まり、神との出会いに到達し、平安と安心を受け取ることができるのです。人びとにとっては幸福なのです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第4主日:法律によらない「権威」はその人となりが醸し出す

イエスさまの「権威ある教えも」、そうした環境から人々に示されたものでした。そこには、ごまかしとか偽りを見いだせなかったのでした。まったく、人々は感動し、感嘆したのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第3主日:イエスさまの介入により「平凡」から「非凡」になっていく

イエスさまの呼びかけにこたえる弟子たちの姿が描かれています。弟子たちは「通常」、ごく「普通」に生活をしていたのです。漁師として網の手入れをしていました。彼らにとっては普段着の姿です。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第2主日:「わたし」の生きる原理はどこに根ざしているのでしょうか

イエスさまの生きる基になっているのは、ヨハネが指摘した「世の罪を取り除く神の小羊」としての役割なのです。しかも、その「原理」は愛情に満ち溢れています。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第18主日:蓄えるべきはモノ、金、名誉ではない!善行だ

年間第18主日(C年)の説教=ルカ12.13~212013年8月4日  「富は多くの友人をつくるが、貧しい人は友人に見捨てられる」(格言の書19章4節)とか、「金持ちが滑ると助ける人は多く、ばかなことを話しても、人はもっともなことだという。...
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第19主日:何度躓いても、新たな一歩を踏み出す努力が大事

ペトロのことば、「主よ、助けてください」は、葛藤しながらも、不安が、恐れが消えてしまっていないペトロの姿を示しています。それでも、神の方に目を向けようとする努力の繰り返しが大事です。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第19主日:人は弱く脆く迷い傷つき易いが、それもよい!

弟子たちもそれこそ、失敗を繰り返しながらも、最期はイエスさまのためにその命をささげるまでにいたったのでした。わたしたちも、どろどろした人生ながらも、迷いをかんじる生き方の中で成長していきましょう。