『復活節第6主日』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第33主日:イエスの励ましと支えが日常で感じられますように!

イエスさまは「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしはあなたがたに授けるからである」と励まされます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

三位一体:神の”やりすぎ”と思えるほど深い真心に甘えよう

三位一体の(A年)の説教=ヨハネ3.16~182014年6月15日この地球上にいくつの宗教、信仰があるのでしょう。興味はあってもその課題に取り組んだことはありません。ただ、「宗教」というからには、人の生き方と密接に関係しているのは共通のよう...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第31主日:イエスさまを求めている人のバリアになっていませんか?

ザアカイにとって大事にしてきたことは「今」なのです。「今」イエスさまに会えるかもしれない「その時」がやってきたのです。せめて外見でもいい、「見よう」としたのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

主の奉献:エルサレムでの驚きは聖家族の新たな生活の始まり

この驚きが、マリアとヨゼフのこれからを導いてくれます。「これらを心に留め、思いめぐらす」生活の中に、神の、イエスさまのほんとうの姿を見出していかれるのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

キリストの聖体: イエスさまの思いが限りなく込められた秘跡

ご聖体をいただくたびに、わたしたちはイエスさまの十字架の死を告げ知らせることになります。イエスさまからは愛とゆるしのしるしであり、わたしたちにとっては、ゆるしと清めの恵みです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

キリストの聖体:ご聖体は交わりの場、わたしたちを養う「主の食卓」

ご聖体を食べ物としてイエスさまはわたしたちに示されました。「わたしは天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」。さらに「パン」とは「わたし自身だ」と言われます。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

聖霊降臨:神に委託する心が大事!人間力には限界がある

聖霊降臨(C年)の説教=ヨハネ14.15~16、23b~26 2013年5月19日      「増える施設の子ども」の見出し活字が(讀賣新聞西部版2013年5月17日朝刊)、いち早く目に入りました。家庭を失う子どもが増えているといいます。そ...
2014年/A年説教=神のたしかさ

聖霊は内側から、冷えきった心を温め、勇気を与えてくれます

聖霊降臨の祝日は、弟子たちが「群れている」中で、自分たちの弱さ、駄目さ加減に気付き、素直に、その弱さと自分の闇と相対して、それらをしっかりと受け止めたことに始まった、神の業の現れです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

主の昇天:DNAが人の数だけあるようにイエスの恵みも多様

主の昇天(A年)の説教=マタイ28.16~202014年6月1日わたしたちの「DNA」に、同じなものは一つとしてないということが、とても不思議に思います。専門家にとっては当たり前のことでしょうが、・・・。
2014年/A年説教=神のたしかさ

復活節第5主日:「イエスさま的」になることは「一つになる」こと

かつて、イエスさまは祈りました。「どうか、みんなを一つにしてください」(ヨハネ17.21)「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです」(同17.22)と。私たちを「父と子」の交わりの中に入れさせようとする切実な思いが込められています。
2014年/A年説教=神のたしかさ

復活節第6主日:聖霊は謙虚さがあるところにいかんなく働く

聖霊を受ける心構えを整え、それを学びとることは、現代のわたしたち一人ひとり、教会の発展、育ちのためにとても重大な課題。課題は「救いに飢え渇く祈りのこころ」です。
2011年/A年説教=神のみことば

聖霊降臨は神の積極的な関与。イエスが弟子と私たちを再生させる

聖霊降臨の祝日は、神に反する動きを持った人に働きかける神の業であります。神自らがなさる「業」であるだけに、弟子たちを、人々を変えていくことができるのです。
2011年/A年説教=神のみことば

三位一体:神の啓示は、こどものかくれんぼ遊びにヒントがある

わたしたちが信じている神も、自らを自分のほうから示す神です。「啓示」とはまさにそのような意味。示された内容をわたしたちが受け止めることができるかどうか、それが問題です。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第17主日:天国に行った人はいない。だから伝える工夫が大切

わたしたちの周囲にはたくさんの善意にあふれた人々がいます。このようなカトリック信者ではない人も、何かを求めています。本人に、神に向かっているという意識はないにしても、確かに神に向かっているのです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第3主日:イエスの一言は「はい」か「いいえ」を求める

さがしながら待つ必要はなくなったのです。イエスさまのことばに賭けるか賭けないかです。新しい力を受けるか受けないかです。「はい」といって、イエスさまに賭けたいですね。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第6主日:本当に価値あるものは目に見えず気付きにくい

「他言無用」の戒めの裏にあるイエスさまの思いは、人々が目先の「癒やし」というご利益だけを求めてイエスさまのもとに集まってくることを恐れての対応だったのではないかといわれています。
2012年/B年説教=主との出会い

受難の主日:全てが終わると思えた瞬間に新たな始まりが動き出す

人間の常識から見たとき、すべてが終わりと思うその瞬間に、新たな始まりが動き出すのです。ここに神のなさり方があります。日常生活の中で、ちょっと意識してみるといいですね。
2012年/B年説教=主との出会い

主の復活:死は人の最終章だがイエスは常識を超えたところに

人間の常識の世界の中にイエスさまはおられないのです。人間の常識を超えたところにイエスさまは存在されるのです。そうあらしめたのはほかでもないおん父なのです。
2012年/B年説教=主との出会い

復活節第5主日:信仰はイエスに留まってこそ引き継がれる

イエスさまの受難と十字架の死によって、自分たちの弱さが暴露されたことで、使徒たちは信仰に目覚め、イエスさまのところに留まり続けることができたのでした。
2012年/B年説教=主との出会い

主の昇天:周囲の方々の嘆き節に敏感になれる感性を培う

「福音を宣べ伝える」ということは、その人の信念やイデオロギーを伝えるということではなく、「イエスさまご自身」を伝え、イエスさまとの出会いへと人々を招いて行くことです。