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三位一体

2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

三位一体:「独り子」の歩みの中に、神からのわたしたちへの愛を見る

神からの働きかけに対して、わたしたち人間のとるべき態度といえば、それは「信じる」ことです。そうすれば、将来を待つまでもなく、今「裁かれない」状態にあるというのです。「裁き」は将来起こることではなく、今ここで起こっているのです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

三位一体:キリスト者とは、父と子と聖霊の交わりを深めて生きるひと

わたしたち洗礼を受けた者にとって、三位一体の神との交わり(信仰)は「宝物」に、魅力になっているのでしょうか。癒やされ、つなぐ力を得ているでしょうか。また、その力を生かし、新たなつなぎになっているのでしょうか?!
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

三位一体:神との交わりを感じていますか、そのことにホッとしていますか

神と「ほっとする関係(まじわり)」ができていますか、という問いを、今日は自らに発してみてはどうでしょう。きっと、気づかなかったこと、見えなかったものが、モヤが晴れたようにすっきりとし、見えるかも、・・。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

三位一体:見知らぬそぶりができない心は神の贈り物。多くの人を癒す源

見て知らぬ振りができないわたしたちの中にある心情は、まさに、神からいただいた恵みなのです。その心をもって他者と接することができる限り、わたしたちは確実に神を、三位一体の神を伝えていることになるでしょう。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

三位一体:「知」だけでなく「心」の世界で分かりあい、交わり合いたい

「人間の救い」という出来事は、人の知性の問題ではなく、神の恵みによって高められて初めて受け止めることができる神秘です。わたしたちは三位一体の交わりの中に招きいれられました。この交わりを深め、日常の煩雑さの中でも、絶えずこの交わりに戻っていくような「信仰センス」を大事にしていきたいですね。
2018年/B年説教=神への道標

三位一体:神は自己啓示を続け、交わりに招いている。どう答えますか?

神は自己啓示を続けられます。教会を、ローマ教皇を通して、国のリーダーを経て、隣人を通して、家族・兄弟姉妹を通して、ご自分の交わりに呼び込んでいらっしゃいます。それに気づいて、さらに「イエス」というか「ノー」というのか、・・。
2017年/A年説教=神のふところ

三位一体:神は自らご自分の秘密を開示なさる。その意味することは!

神はモーセに宣言します。「主とは、あわれみ深く、恵みに富み、怒ること遅く、慈しみとまことにあふれる神である。千代にいつくしみを及ぼし、悪と背きと罪をゆるす」と。人が神との間で断絶を図ろうとしても、私たちを変えようとする愛の豊かさを持っておられるのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

三位一体:神の愛の繋がりに参与することが信者の生き方

信者として生きることは、キリスト教的ヒューマニズムを生きることではありません。神の愛の関係に参与することです。そして、イエスさまがわたしたちのためにお祈りくださったように、三位一体の交わりの中で一つになることです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

三位一体:父と子と聖霊の交わりの輪に私たちも招かれている

私たちが三位一体の神のいわゆる「仲間」となることです。とんでもないことです、と言いたくなりますが、イエスさまの生涯は、まさにこのことのために捧げられたものだったと言えるのではないでしょうか。
2014年/A年説教=神のたしかさ

三位一体:神の”やりすぎ”と思えるほど深い真心に甘えよう

三位一体の(A年)の説教=ヨハネ3.16~182014年6月15日この地球上にいくつの宗教、信仰があるのでしょう。興味はあってもその課題に取り組んだことはありません。ただ、「宗教」というからには、人の生き方と密接に関係しているのは共通のよう...
2011年/A年説教=神のみことば

三位一体:神の啓示は、こどものかくれんぼ遊びにヒントがある

わたしたちが信じている神も、自らを自分のほうから示す神です。「啓示」とはまさにそのような意味。示された内容をわたしたちが受け止めることができるかどうか、それが問題です。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

三位一体:神と人の関係はコーチと選手の関係に似ている

三位一体の主日(C年)の説教=ヨハネ16・12~15 2013年5月26日 人間は一つのことに秀でていると他のことはそうでもない、というケースが普通ではないかという気がしますが、・・・。今プロ野球で話題になっているのが、藤浪晋太郎(阪神)と...
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