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年間第33主日:神の目的は人の救い。「恵みの時」を逃さない普段の忍耐を

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2019年説教の年間テーマ=「召ばれています、いつも」

年間第33主日(C年)の説教=ルカ21・5~19

2019年11月17日

「イエス様、これはあなたのせいです。あなたがゆるし過ぎたので、私はこうなりました」。教皇フランシスコがアルゼンチンにいた時、いつも一人の神父さんのところに、ゆるしの秘跡を受けに行っていたその神父さんの言葉です。(カトリック新聞2019年9月29日第4500号)

ゆるす、ゆるされるを考えてみよう

その神父さんはおじいさんですが、ある時のインタビューでの話です。「たくさんの人が私のところに来ますが、それは私がとてもよく人をゆるすからではないかと思います。私は時々、自分が優し過ぎるのではないかと思います」。そういう時、その神父さんは十字架の前で祈って、イエスにこう言うそうです。「イエス様、これはあなたのせいです。あなたがゆるし過ぎたので、私はこうなりました」と。

教皇フランシスコの優しさも同じではないんでしょうか。「イエスがそうだったから」なのです。「ゆるす」という言葉を口で言うことは誰にでも簡単にできます。でも、実際はどうでしょうか。現実には、ゆるすことができる人とそうでない人がいるような気がします。でも、このこと自体が、他はさておき、問題なのでしょう。

ゆるすことができない時、人とは

と思いながらも、そもそも、ゆるすことができない時、人とは、どのような時、人なんでしょうか。一般論としてではなく、より具体的に「わたし」(自分)の場合を想定してみましょう。ゆるそうと努力すればするだけ、過去のできごとのいろいろな場面を思い出してしまい、自らの辛さ、苦しさのみがのしかかってくるのです。

ゆるされると晴れ晴れとなるのだが

翻って、自分がゆるしの秘跡を受けに行った時、ゆるしていただいた後はいつも、心が晴れ晴れとかるくなっていることに気づかされます。そうです。ゆるしていただくということは、もう一度、新たに前に進んで行こうとする力と機会をいただくことなんだということです。別の言い方をしますと、ゆるされるたびに、ゆるしてくれた人から、神から恵みをいただくときなんです。わたしたちは、その「恵みの時」をみすみす逃してはいないでしょうか。

災害などで疲弊すると、心が萎えて

わたしたちは、生きている自らの環境を考えた時、しかも、自然災害に見舞われますと、その被害が甚大であればあるだけ、精神的に疲労を感じ、心も萎えてきます。そして、せっかく身近にある恵みのチャンスにも、気づかないままにやり過ごしてしまうことが多々あります。

恵みのチャンスを逃してしまいがち

それに乗じて、人心を惑わすような発言が出てきたり、予想もしない悪徳行為等も続出してきたりします。そして、人々を不安に陥れ、それに付け込んで、根拠のないうわさ話が広まり、新たな不安を引き起こしてしまうのです。こうした動きは、時代を超えて同じだなと思います。

年間第33主日:忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。
年間第33主日(C年)の福音=ルカ21・5~19 〔そのとき、〕ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」

今日の福音書では、天変地異や社会の混乱が語られています。当時のユダヤの人びとは、エルサレム神殿こそ神がとこしえに住まうところと考えていましたので、その神殿が崩れ去る日が来るというイエスの言葉に、ただ驚くばかりでした。だから、彼らは追い打ちをかけるのです。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」明らかに、彼らの心の動揺がうかがわれます。

苦しみながらも、神への信頼こそ大切

イエスの答えは「惑わされないように気を付けなさい」という注意で始まります。できることなら、わたしたちは毎日が安定し、穏やかな平和の裡に過ごしていきたいと願っています。そう願い、祈っているわたしたちにしてみますと、社会の混乱は受け入れがたい出来事です。できれば遠ざけていただきたいと願います。それにもかかわらず、現実は冷たいのです。そうした出来事が迫ってきます。イエスさまがそう明言されるのは、人間としての価値が、ありのままの現実の中であきらめず、絶望せず、さらに、苦しみながらも神に信頼して生きていくところにあるんだ、ということを伝えたいのです。

なぜなら、神の目的は人類の救いだから

神の目的は人類の救いにあるからです。神を信じる者はどのような出来事にも惑わされることはありません。なんといっても、イエスがわたしたち一人ひとりに「ことばと知恵を授ける」からです。また、神の保護は絶対的です。決して、他の者によって崩されることはあり得ないのです。その神に信頼していく生き方から、忍耐も希望もわき上がってくるのです。神を信じる者の忍耐は、さらなる恵みをいただく道です。

普段のわたしたちは、一人ひとりによってその置かれている状況は違うでしょうが、いろんな意味で不安を抱えているのが現実でしょう。それに押しつぶされそうになる時こそ、「恵みの時」であると、今日のイエスさまはお話しされます。「惑わされるな」とおっしゃるのです。わたしたちは、環境に流されやすいからです。

日々の葛藤は、神の恵みを引き寄せる

みな、神への信頼を強めていくべく、日々葛藤しています。「葛藤する」ことこそ、神の恵みを引き寄せ、いただける「大きな時」なんです。苦しいことばかりが押し寄せてくるようですが、この「大きな時」に思いを馳せることも忘れないようにしたいですね。

信仰者のみなさん、ゆるしの秘跡をいただいた「恵みの時」の感触、思い出してみましょう。すべては、例外なく、すべての人間の救いへ向けられています。

 

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