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年間第33主日:神の意向に応えるとは?形と掟を守るだけでは足りない

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年間第33主日(A年)の説教

2023年(A年)説教の年間テーマ=み言葉は「救い」の見極め

年間第33主日(A年)の説教=マタイ25・14~30

2023年11月19日

コロナ5類移行でマスク着用者は徐々に減少

ここにきてやっと、新型コロナウイルス感染症が、少しは下火になったのかなと思わせる状況になりました。この感染症が第5類へ移行してから半年となりました。それを前にして、鹿児島市の小売りや飲食業者、公共交通機関の運転手がインタビューで語っています。総じて言うならば、一部でまだ感染への警戒や配慮が続く一方で、マスクなしが徐々に進行し、県民にも笑顔が戻ってきたのではないか、と。(南日本新聞2023年11月8日朝刊)

さらに紹介しますと、鹿児島市呉服町のキク薬舗の長谷川和子店長の話です。「5類に移行してから徐々にマスクを外す人が増えた。特に若い人で多い印象」と。また、移行後に同店でマスクを買う人は50代以上がほとんどとなり、3年前と比べ売り上げは半分以下になったということです。

さらに、鹿児島市電の運転手・下玉利雄司さん(47歳)は、移行後、乗車するときにマスクを着け、降車時には外す客をよく見かけるようになったとのこと。また、下玉利さん自身も「マスクの下も笑顔で話すと明るい声になる。目を細めたり大きくしたり工夫して、互いに感情がわかるようにしたい」と心がけているとのことです。

着用のTPO判断は各々、”県民性”も影響か?

他方で、マスク着用について尋ねた南日本新聞のアンケート自由記述には、さまざまなご意見が寄せられています。(同上紙)

それによれば、「感染が怖い」「コミュニケーションに影響がある」など、マスクを着ける着けないに関係なく、幅広い思いが寄せられています。「人目が気になる」と同調圧力を指摘する声もあります。また、鹿児島は県外と比べて、どちらかといえば、マスクを外しづらいという見方をする人もあります。結局は「人それぞれ事情があるため、個人の考え判断が尊重される世の中であって」欲しいと願う声が最も大事なんでしょうか。そのためには、我儘な身勝手な判断ではなく、根底には、自分が認めてもらいたいのであれば、相手の思い、判断をも受け止め理解していく心が大事ですよね。

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世の中の一人ひとりが、お互いがこうした思いを共有していけば、平和に、気持ちよく過ごせる世の中が構築されていきます。それは理想ですよ、といわれるかもしれませんが、理想はその実現に向けて、いつも追い続け、試みることでしょう。より人間らしく生きるために。

タラントンの価値と「預ける」に着目したい

今日の福音は、みなもよく親しんでいる「タラントン」のたとえ話です。当時の貨幣価値は、わたしたちにはピンときませんが、因みに、一タラントンは6千日分の賃金になるそうです。ですから、五タラントンを任された僕にとっては、生涯収入をはるかに超える額のお金を預かったことになります。

ここで「預ける」と訳された言葉は、「あるものを他の者の処理にゆだねる」の意味があるのだそうです。それほどの賃金の額が、一(いち)僕(しもべ)の裁量にゆだねられたのです。これは何を意味するのでしょうか。主人はその僕を、ほどそれほどに信頼していたということになりはしませんか。また僕の方は、そのことをいたく感じ入り、主人の思いに応えたく、別に五タラントンを稼いだのです。二タラントン預かった僕も同じようにして、別に二タラントンを儲けました。

ところが、一タラントンを預けられた僕は、そのお金を、出かけて行って穴を掘り、「主人のお金」を土の中に埋めて隠してしまったのです。「主人のお金」をひたすら守ることだけに心が動いていました。当時は、穴を掘って預かったものを隠せば、仮に盗まれたとしても賠償する必要はなかったとされています。地中に隠すことが一番安全な方法でした。ここで留意しておきたいことがあります。

良い僕とは主人の意向を悟り、信頼に応える

この僕にとって「預かったお金は」あくまでも「主人のお金」でした。「自分の裁量にまかされたお金」という認識がないのです。ほかの二人は「預かったお金」という認識があります。また、その言葉を使って表現し、主人に報告しています。「御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。」つまりは、「預かったお金」は、もはや「主人のお金」というよりも、あくまでも自分の責任で自由に駆使することが出来るお金としての認識です。主人の信頼に対する精一杯の僕の応えでした。

ところが、良く読み込んでみると、商売をして稼ぐことが、主人が僕にお金を預けた目的ではありませんでした。現に、新たにそれぞれが稼いだ二人の僕に対して、主人が掛けたねぎらいの言葉は、もうけた金額の大小に関係なく全く同じです。儲けた金額が大きいか小さいかを問題にしていません。主人の意向を見抜き、その信頼に応えたそのことが「忠実な良い僕」だったのです。

他方、一タラントンの僕は、「怠け者の悪い僕」と呼ばれています。主人の自分への信頼に気づかず、理解できなかったのです。「厳しい主人」としての思いしか浮かばなかったのでしょうか。要するに、自分の思い込みの中に、恵み豊かな主人(神)からの配慮に蓋をしてしまったのです。

形と掟だけでは、本来の神の意向に沿えない

これはまさにファリサイ派の人々が民衆にしている態度と同じです。本来の神の意向を無視し、温かい豊かなはずの恵みが、細かい決まり事・律法が作り上げられることによって、神の意図したことが見落とされる結果を招いてしまっています。

イエスがわたしたちに、「タラントン」の話を通して伝えようとしていることは、形を守り掟にしたがっていることで、神への道を歩んでいると思い込んで、安心しているとすれば、神の豊かな、あふれ出るやさしさ、温かさが見えなくなってしまいますよ、と・・・。

過去の自分を振り返ってみますと、このようなことの繰り返しが続いてきたのかな、と。でも、その時間も実は無駄ではないのです。立ち戻ることが出来れば。だって、イエスはこのことを望んでいるからです。

コロナウイルス感染が多少落ち着いてきた今、新たに出されたおふれ(第5類への移行)の中身を見誤ることがないようにしたいものです。

決定的な瞬間、時は未来にあります。その時イエスと一緒に喜びたい、・・。

 

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