復活節第6主日(C年)の説教=ヨハネ14・23~29
2019年5月26日
以前から感じていたことですが、インターネットの普及もあって、いろいろな形の仕事が増えてきたなと。その中身も、個人の努力一つで素晴らしく成功するような仕事、単独で従事し、運営できる仕事等が魅力的になってきたのではないかと感じています。テレビ、新聞等の報道機関を見たり聞いたりしていると、今まで聞いたことのない職業にあふれています。
初耳!整理収納アドバイザーの話から
「整理収納アドバイザイー」業も、わたしが感じている仕事の一つでしょうか。オフィスやモデルルームの監修、住宅の整理収納サービスを手がける角一まり子(かくいち まりこ)さんがいらっしゃいます。(讀賣新聞大阪本社、2019年5月20日朝刊)
おもちゃの整理は子供を中心に考えよう
子育て奮闘中の親御さんにとって、「整理収納」で気になる問題は何かといえば、お子さんのおもちゃの整理のようです。その時に一番注意したいことは何かと尋ねますと、「最もいけないのは、親の判断で取捨選択することです」と、角一さんは指摘なさいます。おもちゃは、たとえ壊れていても、子どもにとって宝物ということが少なくないからです。初めのうちは必要なのかどうなのか選択できなくても、迷って、決めて、時には後悔して、という作業を繰り返していくうちに、次第に子どもに判断力が備わってきます、とおっしゃいます。
整理や別れを通じて成長することに注目
確かに、腕と指を動かしながら作業に打ち込む時期は、すべてのお子さんにあります。その度に、弄るおもちゃが変遷していきます。そのことは、お子さんの成長のしるしなのです。その変化を見落とさないことだと思います。そのおもちゃに頼って、安心して前に進んでいるのだといえます。ホッとしている瞬間が、人が一番伸びる時なのではないでしょうか。
だからといって、おもちゃを与えすぎることも考えものです。角一まり子さんもご指摘なさいます。「『一個買ったら、一個手放す』といったルールを決めておくのも一つの方法です」と。そして、捨てる際には「楽しませてくれてありがとう」と感謝の気持ちを示すことができるようであれば、その時が、そのおもちゃとの別れの潮時なのでしょうね。弟妹に譲るとか、親戚の子にあげるとか。お子さんにはわかっているのだと思います。
イエスの別れのことばは、慰めと励まし
おもちゃの別れ話と比較するわけではありませんが、今日の福音では、イエスが弟子たちへ別れの言葉を伝えます。日頃の弟子たちの大きな支えであったイエスが、彼らの目の前からいなくなるというのです。いつも、分からない時は直接訪ねることもでき、励ましと勇気をいただいてきたイエスがいなくなるということは、イエスが語ってきたことについて、彼らの確信と自信をなくしそうになる不安を抱かざるを得ないのではないでしょうか。
イエスは弟子たちのそうした心を見抜いてお語りになります。「心を騒がせることはない。恐れることもない」と。自分のすべてをゆだねてきたイエスがいなくなることは、弟子たちに不安と混乱を与えてしまいます。つまり、自分たちの中にある弱さと罪深さを体験してしまうのではないか・・。人は落ち込んでしまうと、マイナスの方向ばかりが自分の中でにわかに頭をもたげます。これは現在のわたしたちも同じことがいえるのではないでしょうか。
「わたしは去っていくが、また戻ってくる」
人生のどん底の極致にある時に、イエスは安定した安心と平和を与えようといわれます。「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。」
「聖霊、弁護者を遣わす」という約束も
イエスがその生涯の中で生きる力となった「平和」を与えようといわれます。人々の裏切りにも屈服することなく、乱されることのない、ゆるす心からあふれ出てくる「キリストの平和」です。さらに、一人で相対するかもしれない問題を前にして、その処理に助け舟を出してくれる聖霊、弁護者を遣わすともおっしゃいます。わたしたちは日々、そのほとんどに気づいていないのですが、立て続けに神からの助け、励まし、導きの恵みをいただいているのです。そして、「キリストの平和」を身に帯びているのですが、それを自分の何処に見出しますか。先ずはイエスの平和を、わたしたち一人ひとりは喜んでいるのでしょうか。
幼児はおもちゃがあることを喜んでいます。それを見出すと安心します。そして、次の行動へと移行していきます。子どもの中にある自然の成長プログラムは、大人の「わたし」のなかにもあるのです。生きる上でプラスになるはずの経験にこだわりすぎてしまい、時に邪魔して、自らが本来の宝物に蓋をしてしまうことがあります。
イエス・キリストを信じる者として、弟子たちと同じように、自分の原点に気づき、聖霊・弁護者の助けに喜んでお世話になりましょう。日常の中で、不安を感じれば感じるほどに、神の助けに安心と平和を見出したいです。
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