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三位一体:父と子と聖霊の交わりの輪に私たちも招かれている

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三位一体(C年)の聖書=ヨハネ16.12~15

2016年5月22日

神のぬくもり「世界のニナガワ」さんが永遠の眠りにつき、また一人の日本の「天才」がこの世を去っていきました。舞台演出家として世界に名が知れていたということは、それだけ社会と人々への貢献度も高いし、同時にたくさんの男優、女優さんを世に送り出されたことをも意味します。現にたくさんのベテラン、若手の俳優さんがいらっしゃいます。

ある方がおっしゃっていました。「蜷川さんがあって、今の自分があります」と。蜷川さんが演技指導をなさっていなくて、自分の演技に迷っているとき、自分の中にいる蜷川さんの言葉が自分を鼓舞してくれています、という内容のことも語っておられました。演出家冥利に尽きるのではないでしょうか。それだけ交わりが深く、近かったということでしょうか。

人の世界で、人間同士のかかわりですと、相手が見えていますので確認しながらの交流が持てます。宗教の世界で、神を見ることはできません。でも、交流は持てるのです。「信仰」という目には見えないけれども、確かな絆を通して、・・。

今日は三位一体の祝日です。わたしたち人間の知性では到底わかることのできないことです。それをわたしたちに示してくださったのは、言うまでもなくイエスさまです。

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その「わかることのできない」中身は何かといえば、父と子と聖霊の交わりの輪に、わたしたちを招き入れるということです。いわゆる「仲間」となることです。とんでもないことです、と言いたくなりますが、イエスさまの生涯は、まさにこのことのために捧げられたものだったと言えるのではないでしょうか。

十字架の犠牲はまさしくわたしたちの「人間回復」の業でした。それによって、三位一体の交わりに入れてもらえる「資格」を得たと言えるでしょう。すべての人に開かれた「人間回復」の業だったのです。

このような意味で、今日の祝日は「バンザイ」と言って喜ぶ日であり、「ありがとうございます」と言って三位の神に感謝する日であります。最終的にわたしたちが落ち着くところは「あなたがわたしにお与えになった人びとが、わたしのいるところに、ともにいるように」なることです。わたしたちの言動のすべては、この交わりから出てきます。原点なのです。このことを意識し、確認してみましょう。

イエスさまあっての今のわたしたちです。

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