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"主の復活"

2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活節第3主日:主の復活は、人間の尺度を超えた「救い」の道を示した

イエスは人間の尺度でしか考えられず、判断できない弟子たちの心を嘆いておられるのです。今もなお、イエスはわたしたちにそっと語り掛けています。「わたし」はイエスが示された新しい「はかり」に気づいているでしょうか?
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活節第2主日:主の復活が「わたし」の平安、希望の要に繋がっているか

絶望のどん底に追いやられるようなことがあっても、復活したイエスを見つめること、イエスに思いを馳せることができるときに、揺らぐことのない自分を保ち、また、平安をいただくことができるでしょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活の主日:主の復活を信じた最初の者・ヨハネは、空の墓で何を見たのか

ヨハネは空になった墓を見たのですが、実は、さらに彼の眼前の光景の奥に潜んだ「もの」を見て(洞察)いたのです。そして「信じた」のでした。イエスの愛をヨハネはその時に感じたのでしょう。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活祭:主の復活は絶望の中に希望を湧きあがらせてくれる

年老いてもなお、周りの人に元気とやる気を与え続けられるひとも、その人なりの「復活」と言えないでしょうか。年齢を重ねて、その年齢にあった魅力を、新たに生み出しているのです。
2012年/B年説教=主との出会い

復活節第3主日:主の復活のメッセージは自分を変えることではなく、変えていただくことです。

わたしたちも自分で自分を変えていこうとしないで、変えていただくという考え方が大事になってくるのではないでしょうか。そこには「不思議なこと」がなくなっていくような気がします。ここに主の復活のメッセージがあります。
2012年/B年説教=主との出会い

主の復活:死は人の最終章だがイエスは常識を超えたところに

人間の常識の世界の中にイエスさまはおられないのです。人間の常識を超えたところにイエスさまは存在されるのです。そうあらしめたのはほかでもないおん父なのです。
2011年/A年説教=神のみことば

主の復活:「空の墓」とは?何かが完全に終わるとところに、まったく新しい何かが始まる

過去の生き方に留まるのではなく、まったく新しい世界に導いてくださるのが今日の祝日です。マリアも二人の弟子たちもそのことには気づいていません。人の醜い思いにつぶされたイエスさまの受難と死は、まったく形を変えて、人の救いというイエスさまのわたしたちへの愛に変えられたのです。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

復活節第3主日:弟子たちを「使徒」にしたもの、それはイエスに出会うこと

十字架にかかったメシアを理解するためには、神によって召される、呼ばれる必要があります。学習するということは、神に呼ばれる状態を自分の中につくっていくことに繋がります。今日の福音では、イエスの弟子は新たな生活に目覚めつつ「使徒」となっていったのです。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

復活の主日:イエスの死は、わたしたちを神につなぎとめた

イエスは、自らが死ぬことでわたしたちに近くなったのです。別の言い方をすれば、「神との関係を断つ死を、つなぎとめている」のが、イエスの死です。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活の主日:イエスは、今なお、この瞬間の「わたし」の傍におられる

過去の悲しみにつつまれた闇の心を喜びに変え、絶望に満ちた心を希望で満たし、生きる力をわたしたちの心にみなぎらせるのがキリストの復活です。希望に反する状況にあってもなお、希望し続ける勇気、元気を与えくれるのが復活の信仰です。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

復活節第6主日:理想は高く、自らは低く、「わたし」は神を見つめて「わたしたち」らしく

コロナ禍にある今だからこそ、もっと一人ひとりが自分の弱さに気づき、弱いからこそ分かち合い、そこから誰かの助けを、支援を受け入れ、もっと「わたしらしく」そして「わたしたちらしく」なりましょう。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

復活節第3主日:弱虫の弟子たちを強い使徒にしたものは何かと言えば

今の教会の原点はイエスの復活にあります。イエスはあくまでも使徒団として弟子たちをお召しになりました。したがって、わたしたちは共同体の中で励まし、ともに豊かになっていくのです。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

復活の主日:イエスの復活は、バリア(幕)のない教会づくりの力

復活の祝日は、お互いの間を隔てている「幕」を取っ払い、さらに広く、分け隔てのない新しい共同体(教会)の誕生へと駆り立てる、内的エネルギーにしていきたいものです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第3主日:ひとり一人の人生に隠されている神の恵みに気づこう

復活節第3主日(A年)の説教=ルカ24・13~35 2020年4月26日 年が若くて元気な時は考えたこともなかったことが、年を重ねてくると、ある事にふと気づいて、思い巡らすことが多くなってきました。 脂っこい食べ物には手を出さなくなったなと...
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活の主日:今年もなお、「わたし」に語り掛ける神をどこに感じていますか

イエスの十字架と復活が、「わたし」が生きるための血となり肉となっているでしょうか。ペトロのように自分の弱さ醜さに目覚めれば目覚めるだけ、主の復活のありがたさがわかってくるのではないでしょうか。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第2主日:神の怒りは一瞬だが、神のいつくしみは永遠に続く

直接にイエスさまを見ることができなくても、弟子たちの言葉を信じる人たちには、救いの喜びが、幸いがあるとの確証が与えられました。今日は「神のいつくしみの主日」です。
826ブログ

【カトリック教会の典礼暦】2016年の復活祭は3月27日

復活祭を中心に毎年移動するカトリック教会の移動祭日についての情報と、カトリック典礼の頂点である「主の復活」の聖書やメッセージ(説教)のリンクを掲載しています。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活節第3主日:信仰は神さまのイニシアティブでいただく、恵みです。

今日の福音にあるように、イエスさまにここまでしていただかないと信じられなかった弟子たちの姿に、わたしたちは励まされているように感じます。不信仰者であった弟子たち、逃げ回っていた弟子たちの話は、わたしたちを信仰の道へと後押ししてくれているようです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活節第2主日:人の常識を超えたところに発見される信仰の芽生え

トマスという人は、現代的な言い方をしますと、自分に正直な方なんではないかと思います。仲間から「主の復活」の話を聞いても、人間的な常識のなかで判断しています。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活の主日:人間的常識にこだわる限り、「わかりません」としか言えない

すべての人に死は訪れます。人間的に見れば、死によってすべてが終わりです。しかし、「主の復活」は神とつながっている限り、死を乗り越えて新たな命につながっていくことを、わたしたちに保証してくださった、大きな希望をいだかせてくれる出来事です。