四旬節第3主日(C年)の説教=ルカ13.1~9
2016年2月28日
最近の、毎日のテレビ、新聞等の報道の中に、ほのぼのとした、温かい情報があまりにも少なく感じませんか。そう思っているところに、次のような記事を見つけました。先日の読売新聞に、アニメ映画「もののけ姫」の主題歌を歌って一躍有名になった声楽家の米良美一さんのステージ復帰の、懐かしい、嬉しい話が紹介されていたのです。
幾多の試練に見舞われてきた米良さんが、たどり着いた今の心境は、「多くの人に支えられて元気になった。生かされた命を大切にしたい」と述べています。
復帰前のリハビリ中は、「早くステージに立って同じ境遇の人に元気な姿を見せたい」との思いから、理学療法士の先生に「芯が強い」とうならせたといいます。(2016年2月21日、西部版朝刊)また、次のようにもおっしゃっています。「音を紡ぎ出して錦を織っていくことで、みなさんの心を豊かにするお手伝いができれば。一度きりの人生だから、そうありたい」と。
あまりにも悲しい、辛い出来事が多いことが、近頃の日常になっている印象を受けるがゆえに、こうした情報は、その内容を一気に読んでしまいました。わたしたちの日常は、たくさんの出来事が起こり、たくさんの人との出会いがあり、それによって一喜一憂している自分を発見することがあります。
イエスさまの時代も同じようなことが言えます。日常の出来事もあれば、めったに体験できない事件もあります。でも、現実的にこのような事件事故が起きますと、人は通常はショックを受け、嘆き続けることが多くなります。運命かなと思ってあきらめる人もいれば、失望してしまう人、また、過去において何か悪いことをしたせいではなかろうかとか、そのための天罰なのだろうかと考え込んでしまう人もいます。
しかし、このような考えはいずれもキリスト教的なものではありません。だって、すべては「神の手の中」で動いているからです。では神はどのような方でしょうか。「いちじくの木」の話にあるように、忍耐深く待ってくれる方なのです。また、人を救うためにご自分の独り子を、惜しむことなく派遣してくれる方なのです。しかし、神に甘え続けていることはできません。時を見て回心することです。実を結ばないいちじくの気が根こそぎ切り捨てられることがないように、・・。
忍耐強い神にいつまでもつながっていましょう。
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