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四旬節第3主日:神はそばにいる。不意の不幸にも「信じて生きる」訓練を

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四旬節第3主日(C年)の説教=ルカ13.1~9

2013年3月3日     

寄り添うイエスいつの時代も、どこにおいても、不幸な出来事は発生します。そして、その不幸が続くと神に向かって祈るどころか、不平不満を叫び続けます。あまりにも不公平を感じるからです。といいますのは、不思議なことに、その不幸が貧しい、小さな人、家族に襲いかかります。大抵の場合、その不幸は突然です。だからこそ、わたしたちは、どうしてこんな目にあわないといけないのか、その理由と説明を求めたがります。人情的にはよくわかります。
この「不幸」を前世の因縁とか、運命とか等、天罰とも捉えている人がいます。そして、その負い目を一生かかえながら、その抑圧に耐えつつ、生涯を嘆きつつ生きている人もいないではありません。

こうした災難は、イエスさまの時代にもあったことが、今日の福音で分かります。日常的に起きていたことをうかがわせます。すべては神のみ手の中で起きていることなのです。

しかし、信仰者として冷静に考えますと、自分がどうにかしてその解決を見つけ出そうとすればするだけ、追い込まれていく自分を感じませんか?! 神は、わたしたち人間を今日も明日も祝福され、「それでいいぞ!」とおっしゃってくださっています。人間的に見て「無駄」であると見えても、神の目には無駄はないのです。

だって、はじめから、わたしたちは神に選ばれて今ここに立っているからです。さらに、自分勝手なことをしでかしたとしても、神からの即座のお叱りはないでしょう。この神の「沈黙」は何を意味するのか。わたしたち一人ひとりに「回心」のチャンスを与えようとしての恵みの時なのです。パウロは言います。「だれがキリストの愛から、わたしたちを引き離すことができようか」。

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神は忍耐深く、それよりも、先にわたしたちを愛してやまないのです。その証拠がおん独り子の派遣です。神のほうから人間をすくってあげようとして近づいてこられたのです。みすみすこの機会を逃すわけにはいきません。というよりも、逃してはいけないのです。

神とのかかわりの中ですべてがなされていることが受け止められれば、不幸が突然襲ってきても乗り越えることができますよ、と今日のイエスさまはメッセージを送られます。神のなさり方、神のいつくしみを信じて生きることに、「不幸の意味」が見えてくるのでしょうか。「信じて生きること」の訓練を、日常の中で積み上げていきたいですね。

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