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年間第2主日:世話を受ける側から世話してあげる側にまわる

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年間第2主日(B年)の説教=ヨハネ1.35~42

2012年1月15日

主との出会い

先週は、日本国内全土で「成人式」の祝賀会が開催されました。特に、昨年3月11日の大震災は、若者たちに大きな衝撃とともに新たな力をも与えてくれたのではないかと感じました。犠牲となられた幼子、若者もたくさんいる中で、成人式を迎えることができた彼らにとって、亡くなられた身近な人への確たる決意の念を感じないではおれない、そうした雰囲気を覚えました。

そうした中で、1995年の神戸大震災で被害を受け、当時3歳だった男子青年がテレビに出演していました。彼自身も母親を亡くされたそうです。震災直後は、遺児となった他の子どもたちと一緒に、ある施設に預けられたということです。そこでたくさんの援助と世話を受け、今日の日を迎えることができた、ということでした。感謝の気持ちがいっぱいだそうです。

その彼が語っていたことに、これからの日本社会が「つながり」を大事にできる生き方を目指していけるようにしていきたい、という内容がありました。彼自身、何回も東北を訪ね、遺児となり、元気をなくした子どもたちのお世話をしたそうです。そのようなかかわりを通して、「世話を受けていた側から、世話をしてあげられる側」にまわりたいという決意を語っていました。

わたしたちの成長は、どこであれ、誰かとのかかわりを通して変化し、豊かになっていきます。師弟関係はまさにその典型ではないでしょうか。それよりも具体的、確実なのは親子関係であろうと思います。さらに、信仰の世界においてそれは極みに達するのではないでしょうか。つまり、神とのつながりの深さ、広さ、豊かさによって、その人の人となりに影響してくるからです。

今日の福音で、ヨハネから促されてイエスさまについていった二人の弟子は、イエスさまの滞在場所を見、そこに留まったのです。イエスさまから何かを受け、また、何かを感じたからこそこうした行動に出たのでしょう。イエスさまにひきよせられ、イエスさまと生きることを意味する「留まる」という表現です。

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あの青年が使った「つながり」ということばも、中身は同じ体験をしたものとして、同じところに「留まる」「生きる」ことを披瀝しているように見えます。それまでのその人の生活のすべてが、そのことばにこめられているような気がしてなりません。

誰にでも、人をひきよせる何かがあり、人にひきよせられるものを持ち合わせています。それゆえに、生きることの楽しさ、元気を甘受できるのです。

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