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年間第3主日:イエスの一言は「はい」か「いいえ」を求める

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年間第3主日(B年)の説教=マルコ1.14~20

2012年1月22日

主との出会い

わたしたちの日常生活の中で、楽しくてしようがない時、こと、ってありますか。ある人の話ですと、今の社会の風潮はテレビのコマーシャル、番組を見ればわかるといいます。かつて、クイズ番組をいろいろな局が取り上げた時代がありました。その時は、「日本は、幸せな国なんだ」という評価だったそうです。関口宏さんが司会をしていた「クイズ百人に聞きました」というのがあっていた時代です。古い話ですね。すみませんです。

いつの時代もその世を代表し、その世を引っ張っている人、オピニオンリーダーはいるものです。人ではなく、時にはマスコミであったりします。このマスメディアの役割は大きいものがあります。現代は、この広報活動に流されっぱなしということが多すぎはしませんかね。

インターネットをできない人は時代遅れの人で、さも罪悪を犯しているかのような見方をされてしまうことだってあります。少なくともそのような印象を受けてしまいそうなときってあるのではないでしょうか。その“オピニオンリーダー”の動向は、世の中を変えてしまうほどの力を時として発揮します。

イエスさまの時代においても、このような存在に当たる方がいました。洗礼者ヨハネです。ヨハネの捕縛は、当時の人にとって大きな暗い影を落としてしまいました。彼こそ、ユダヤ人にとっては希望の「星」だったのです。ヘロデ王は当時の支配者の長として君臨していましたが、人々に希望をあたえてくれる存在者ではなかったのです。そのようなときに、ユダヤ人の前に登場したのがヨハネだったのです。その捕縛は人々に無力感と失望感を与えてしまいました。

そこに、今度はイエスさまが「救いのときは満ちた」と宣言して登場します。人々が人としての支えを失えば失うほど、その実、神がそっとそばに近づいてこられるといわれます。わたしたちがその動きに気づいているか否かでしょう。裕福の時には気づかない本当の神を感じることができるといわれます。そのような体験をなさった方がおられるでしょうか。

一般に言う、「ハングリー精神」なるものはその類かもしれませんね。不思議と力が出てきて、実力がついてくるようです。相撲にして然り、野球にしても同じです。いわゆる、その人生を引っ張っていく根底からのエネルギーとなっているのですね。

イエスさまの一言は、わたしたちに「はい」「いいえ」のどちらかを求めます。さがしながら待つ必要はなくなったのです。イエスさまのことばに賭けるか賭けないかです。新しい力を受けるか受けないかです。「はい」といって、イエスさまに賭けたいですね。

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