2018年第5講の動画
第5講のレジュメ(骨子)
主の祈りを中心に抱く「山上の説教」~祈りとしての実践~
主の祈りが山上の説教全体に占める位置を、 U.ルツの詳細な注解書「マタイによる福音書」の見解を援用して、確かめたい。また「主の祈り」を導入しているイエスのことばの意味を考えてみたい。そうすることで「山上の説教」全体が祈りに裏打ちされていることを確かめたい。
- 主の祈りを中心に抱く構成
ルツは、「山上の説教」が主の祈りを中心として、その周りに対称的に構築された構成を持つことを示した(前掲書)。その構成は以下のとおり(配布資料の2頁参照)。
状況描写( 5 : 1以下)は山上の説教後の聞き手の反応( 7:28-8:1)と、「群衆、教える、上るないし降りる、山」のことばをキーワードとして対応している。 - 祈りとしての実践
むろんすべての学者がこの見解に賛成しているわけではないが、ルツの この分析はマタイが「主の祈り」を意図的に中心においたことを否めない。実践を大切にするマタイの意味では「山上の説教がその中心においては祈りであることを見落とす解釈は、マタイの意味では、誤解であ
る」というルツの主張は重要である。 - マタイが主の祈りの導入としている主の言葉の意味することは?
コメント