『復活節第6主日』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2011年/A年説教=神のみことば

年間第33主日:人の豊かさは周りとの関わりの中で成長する

人から期待され、頼りにされることの喜びがあれば、「わたし」の周囲にいる人にもそれが広まっていきます。人の営みは、実はこうしたかかわりが理想なのではないでしょうか。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第33主日:「選ばれた人たち」にとって死は滅びではない

死は不安な、怯えながら待つ時ではなく、熱心に、期待しながら待つ時なのです。それは、「今日」という日を目覚めて生きることの先にあります。「終わりの時」が今から始まっているのです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第32主日:「未来の現実」にあわせた今を変える勇気が大事

「今」を大事にしすぎるあまり、未来を軽視してしまう生き方には注意しなさいというのが、イエスさまの今日のメッセージのような気がします。当時の結婚式は、夜行われていたそうです。当時は電気はありませんから、どうしても油を使ったともしびが必要でした。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第32主日:「やもめの献金」は生活費を全部入れた

このやもめがだれよりもたくさんの献金を入れたと、イエスさまは弟子たちに断言なさいます。「この人は、乏しい中から自分のもっているものをすべて、生活費を全部入れたからである」
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第32主日:他者に開かれた生き方が、人間本来のあり方です

「生きている者の神」との交わりは、「死」によって、途切れることはないのです。だからこそ、今、この世で信仰していることの大きな意味があります。そして、天国へのあこがれも強くなります。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第31主日:権威は、何を根拠に成り立っているのでしょうか?

人間社会の中の権威は、どこか傲慢的で人を見下し、打算的な気がします。しかし、どんな権威でも、正しいことをいっている限り、その権威を否定しないのがイエスさまです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第31主日:人間にエゴがある限り権威は堕落する可能性大

謙虚さ、誠実さ、純粋さが神に向かう生き方の原動力になります。ここに本来の「奉仕」の心があるのではないでしょうか。このような権威を持った人との出会いができることは、なんと幸いなことでしょうか。黙っていても安らぎと充実感を味わえそうです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第31主日:最高の掟は愛。互いに「お大切に」 しあうこと

宗教者として力ある指導者であった律法学士は、失われた大切なものを取り戻すために、イエスさまのところに来たような気がしてなりません。「すべての戒めの中で、どの掟が第一ですか?」
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第30主日:祈りは、他者との関係から生まれてくる「わたし」の奉献

祈りは実に単純、簡潔、飾り気がありません。取税人は顔もあげず、罪深い自分をあわれんでください、とだけ訴えます。それ以上は要らないのです。隣人を責めるでもなく、ひたすら自己のみじめさをさらけ出します。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第30主日:イスラエルでは、神を愛することがなぜ掟だったのか

日本的な言い方をしますと、神さまは、イスラエル人の「恩人」でした。いわゆる、神に「義理」があるのです。その限り、どんな方よりも、優先しなければならない存在者なのです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第30主日:わたしの存在は自分の力ではなく神の恩恵による

神をたいせつにする根拠は、神から受けた「恩義」。イスラエルではファラオの奴隷であった民が、神によってエジプトから導き出されたという事歴史的事実から、神を大切にしなければいけないという結論が出ていました。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第30主日:「あなたが信じる神はどんな方?」と問われたら

年間第30主日(B年)の説教=マルコ10.46~522012年10月28日 わたしたちは毎日、たくさんの方と出会い、いろいろな出来事に遭遇し、知らず知らずのうちに、それらに感化されています。その体験が豊かな人ほど、人間性が豊かであり、平安で...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第17主日:祈りは存在の限界を知り、神に委託する心で

年間第17主日(C年)の説教=ルカ11.1~132013年7月28日   年老いたご夫婦の姿が目に入りました。ご主人は歩き、その傍らには膝で歩いている(?)奥様がいらっしゃいました。その膝たるや血が滲んでいました。こうした光景は聖なる巡礼地...
2012年/B年説教=主との出会い

年間第17主日:今を満たすパンより永遠の命にいたる糧が大切

パンの奇跡は、「今」人の腹を満たすだけの力があるということを見せるのではなく、「永遠に」命のパンであることを人々に分かってもらいたいとのイエスさまの祈りがありました。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第16主日:神は「憐れみと愛にあふれた」活動を評価される

年間第16主日(C年)の説教=ルカ10.38~422013年7月21日   何の理由も無く、いきなり「君はなんて無駄なことしているの」といわれますと、正直言って、ムカッときてしまいます。自分がされるとそうなんですが、同じようなことを、自分が...
2010年/C年説教=神のまなざし

年間第28主日:傷ついた心を癒してほしいとき最高峰に神がおられる

仮に人が裏切ることがあっても、神のあたたかな愛はいつもわたしたちの上にそそがれています。ある意味で「当たり前のこと」(神の保護)を当たり前として受け止め、当たり前の反応を示すことがいかに大事であるか、改めてじっくりと見つめてみましょう。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第28主日:いい人との関わりを通して大きく成長していきたい

イエスさまを取り巻く人々の存在は、イエスさまにも少なからず刺激をあたえてしまうのです。しかし、地上の現実にのみ心を奪われている人々には、イエスさまのことば、招きが入り込む余地はありません。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第27主日:イエスさまはいつも、援助の手を差し伸べています

日常の生活の中で、出会ってきたイエスさまの言葉、行いの中に、その実、本当の救いへの道筋が示されていたのです。それを発見するのを妨げているものは何でしょうか。自分の心の奥をじっくりと眺めてみましょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第27主日:欲望が自分の悔い改めを妨げていないか確認すること

表面をいくらきれいに飾っても、その「化けの皮」は剥がれていきます。あくまでも表面だからです。「嘘の皮」はそぎ落として、その奥を見つめましょう。謙虚であり続けるために、・・・。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第26主日:おもてなしは敏感な感受性をとぎすますこと

「おもてなし」は他者に開かれた人間本来の生き方が込められています。自分が持っている命も財産も、すべてが他者のために活かされてこそ、本来の価値が、重みが出てきます。自分が持っているものは、所詮、自分のためだけにあるのではありません。