『復活節第5主日』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2011年/A年説教=神のみことば

年間第18主日:イエスなしでは無力であることの自覚を促す

弟子たちが生きる意味を見いだせるのはイエスさまとつながっているときだけです。これを日々、わたしたちも自覚したいものです。それも、通常の生きかたの中で、・・・。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第29主日:わたしたちの身の回りは、神からのもので一杯です。

つまり、存在そのものが神からのものであるならば、わたしたちが持っているものすべては、神によらずになったものはないということができます。したがって、神からの恵みによって自分が「ある」ということに気付きなさい、ということが「神に返せ」の中身でしょう。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第29主日:わたしの存在すべてが神の恵みであるという自覚を

真の充実した人生はどこにあるのか。自分のすべてが神に起因していることに目覚め、神とのかかわりを生き抜いていくところにあるのではないか、と今日のイエスさまはメッセージを送っています。
2014年/A年説教=神のたしかさ

復活の主日:マグダラのマリアの関心が「遺体」だったのも無理からぬこと

彼女にとって、イエスさまは、その人生を転換できる大きな契機をくださった方です。それこそ彼女にとっては「かけがえのない」方でした。だから、せめてご遺体を求めたのでした。イエスさまを思い出し、自分を律していくための力となると思ったのでしょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

待降節第2主日:罪とは、神と人間との間に生じた「ずれ」のことです。

ヨハネは、人々を神へと向けさせようとして「悔い改めにふさわしい実」を結ぶように、人々を導きます。そのために荒れ野で人々を待ちます。違った世界に生きてきたヨハネと人々。その彼らが、共通した「荒れ野」で出会うのです。
2012年/B年説教=主との出会い

待降節第2主日:神は羊飼いのように、羊の群れを養い、導かれる

愛に裏づけされた権力は、みなに安心感とゆとりを与えてくれます。落ち着きを提供してくれます。だから、居心地がいいのです。動きたくないのです。テコでも動かない強さが育ってきます。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

待降節第2主日:回心の必要に気付くのも神のいつくしみ

神はやはり生きておられるのです。神のいつくしみが、苦悩のどん底でゆるされなければならない「自分」たちであることに気付き始めさせたのでした。
2012年/B年説教=主との出会い

待降節第1主日:神を父と呼び、人々との絆は「父子関係」の認識

今のわたしたちにとって、神とはどのような関係にありますか。神との絆はどんなものでしょうか。よりよく生き抜くためにも、典礼暦の始まりにあたり、新たな心でながめてみたいものです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

待降節第1主日:ありのままの自分と現実を見つめること

救いに逆行するものにのみこまれないように目をさましていなさい。そのためには、ありのままの自分、現実をしっかりと見つめること。必ず神の力強い救いがわたしたちを招いています。
2014年/A年説教=神のたしかさ

待降節第1主日:神の救いの確かさを待ち続ける術を学びましょう。

「救いは」日常の生活の中で実現していきます。ノアの話でもそうです。「人の子が来る場合」でもそうです。ただ、目を覚まして、神のしもべとして忠実に従う人が救われるのです。
2010年/C年説教=神のまなざし

年間第29主日:神は行き詰まりをご存知なので、信頼して待つこと

神はいつも、わたしたち一人ひとりの幸せに配慮なさる方です。神が何もしてくださらないと思う時、事があっても、「信頼して待つ」ことです、と今日の物語はわたしたちに訴えます。わたしたちが願う前から、神はわたしたちの行き詰まりをご存知です。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第29主日:絶望の中にありながらも待ち続け、希望を失くさないこと

わたしたちは、普通、落ち込んだりしますと、一般的に「後ろ向き」になってしまいます。しかし、だからといって落ち込んだままかというと、そうで もないんですね。
2010年/C年説教=神のまなざし

王であるキリスト:絶望から希望への転換で特別なことは必要ない

自分の罪とその汚れに目覚めるだけでいいのです。あとは、イエスさまが引き受けてくださいます。また、イエスさまは、その人の過去の償いを求めるわけでもありません。責めたりもしません。救いの道はゆるしだけなのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

王であるキリスト:神は倦むことなく、わたしたちをゆるして下さいます

王であるイエスさまの権威をもって、わたしたちは救いへの機会をもらい続けているのです。真の王は、威張るのではなく、まさに、じっと「待ってくださる」方なのです。
2011年/A年説教=神のみことば

王であるキリスト:神の表彰基準は愛の業を生きたかどうか

愛は、人間であれば例外なく一人ひとりの心から出てくるもの、誰でも可能です。才能、能力、学歴にも関係ありません。また、その愛が大きく目立つものでなくても良いのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

王であるキリスト:神の前に価値があるのは「愛」だけである

毎日の日常的な、卑近な生の営みの中で行われるごく自然な「配慮」から出てくる業です。「渇いている人に水を差しだし、苦しんでいる人に慰めの言葉を語り、ほほ笑みを見せる」ことでいいのです。
2012年/B年説教=主との出会い

王であるキリスト:ピラトが理解できない「この世に属していない国」とは

イエスは「この世に属していない国」の存在を告げようとしますが、この世にしか関心のないピラトにはイエスのことばを受け入れることができず、「真理とは何か」とつぶやいてしまいます。
2010年/C年説教=神のまなざし

年間第33主日:神の愛への信仰が苦しみを耐え抜かせてくれる

肉体的な殉教という現実は、今ではないでしょうが、精神的には今でも絶えず繰り返されているのではないでしょうか。「祈り」こそ、このことを物語っています。「どうぞ、主よ、わたしたちの信仰を増してください!」
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第33主日:神の意図を自分流に思い違い、正当化してはいないか?

当時の考え方からしますと、地中に金を埋めることは安全かつ最良の方法と考えられていました。だから、しもべは自信があったのです。しかし、彼には見落とした重要なものがありました。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第33主日:人の豊かさは周りとの関わりの中で成長する

人から期待され、頼りにされることの喜びがあれば、「わたし」の周囲にいる人にもそれが広まっていきます。人の営みは、実はこうしたかかわりが理想なのではないでしょうか。