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年間第26主日:人間には「悔い改める」という行為ができます

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年間第26主日(A年)の説教=マタイ21.28~32

2011年9月25日

神のみことば

「有言実行」という言葉があります。口で言ったことを行動で表すことを言うのでしょう。辞書には次のようにあります。「一度口に出したことは、必ず行動にあらあわすこと」(角川必携国語辞典)。この「必ず」というのが難しいのでしょうか、頭ではその意味がわかっていても、気持ちの上で自分の思いに甘えていることが多々あります。そして、自分の品位と信用をも落としていくのです。

しかし、人間には「悔い改める」という行為ができます。悪いと思いなおして態度を改めていくのです。このようなことを何度も体験なさってきたのではないでしょうか。そこに、わたしたちの成長があります。より日本人らしく、「わたしらしく」なっていくのです。

人間は普段、何の特別なことをしなくても、逆に、しないから充実した生き方ができていると感じている人も多いのではないでしょうか。自ら進んで、意識的に大きな「変化」を期待しないのです。これでは、あまりにもいのち、生きていることへの軽姿勢ではないでしょうか。言いすぎでしょうか? 

一方で、人は他者に期待されてこそ、自分が生きていることの再確認ができるというものです。そうです。「わたし」は必要な存在なのです。自分ではそう思わなくても、生きている価値のある存在なのです。

今日の福音では、二人の息子たちは、明らかに重要な働き手として期待されています。期待されている内容が、その人にとって納得のいくことなのか、そうでないかによって、その反応が変わってきます。それだけでなく、その場しのぎのいいわけ的な反応を見せることもできます。

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そして、時がたつにつれて、内面の動きも整理され、意識、思いの中に出てきます。これが良心です。わたしたちが意識するしないにかかわらず、良心は働き続けています。良心の働きを無視すればそれだけ、良心はエネルギーを消耗することになります。同時に、人間性も危機にひんしてしまうのです。

このようなときに救いの手を差し伸べるのがイエスさまです。イエスさまの呼びかけは、祈りは、こうした良心への呼びかけでもあります。でも、これにこたえることは、かなりの勇気と決断が必要です。だって、自分の目先の楽しみや欲求を断ち切ることが求められることになるからです。だからこそ、価値あることになるのです。

兄と弟の取った態度に何を感じますか。黙想のうちに二人の動きを追いかけてみましょう。

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